2012’北九州平和の集い
~尊いいのち・新しい生き方を~

8月12日、日本カトリック平和旬間の恒例行事となった北九州平和の集いが開催された。
昨年11月に出された司教団メッセージ「いますぐ原発の廃止を」を受け、平和の集い
実行委員会(担当司祭:中村彰神父)では、「尊い命・新しい生き方を」をテーマに決め取り組んだ。

今年で12回目、新たな節目を迎えたとも言える「北九州平和の集い」は地区信徒協の各部会が
それぞれに役割を分担し、この日一日をともに平和を考え、祈り、行動する日と位置付けている。
社会福音部会が平和の集い実行委員会を立ち上げ、午前中の各小教区での平和祈願ミサは
典礼部会が担当して共通の祈り、共同祈願、聖歌を通して平和への思いを一致したものとし、
信仰育成部会が中心となって集いの時の「子どもの広場」を受け持ち、それぞれの
使徒職活動グループが中庭での出店(平和活動アピール)を受け持っている。
特に今年は、東日本大震災被災者支援を念頭に「平和の集い」に集まった献金をすべて
カリタスジャパン大槌ベースキャンプ(長崎教会管区担当)に義援金として送ることを決めた。

「平和の火」が灯されたロウソクが子どもの手によって祭壇に捧げられた後、中村彰神父は
福音のメッセージの根源に流れているとも言える、神さまから与えられたいのちを尊ぶこと
そのために出された「原発廃止」と言う司教団のメッセージ、その実現のためには私たちも
小さな犠牲をして行かなければいけないと言うことと、新しい価値観を持った生き方を
しなければいけないと考え今回のテーマを決めました、短い時間ではありますけど皆さんと
ともに、このテーマを深めながら私たち一人ひとりの平和への思いを強くして行ければと
思います・・と挨拶した後、福島の原発事故によって被災(被爆)されている方たちからの
切実なメッセージ「福島からあなたへ」のDVD映像が流され、第一部のグループ発表がはじまった。
グループ発表では、新田原教会、戸畑教会、湯川教会から東日本大震災被災地の方々への
支援の取り組みや、大槌ベースキャンプへボランティアへ行き感じたことなどが発表され、
終わりにこちらも恒例となった「キリスト者・九条の会」北九州のコント?が会場の笑いを誘った。
また、「カリタスジャパン大槌ベースキャンプ」の責任者として働く、古木真理一神父(サレジオ会、
長崎大司教区)が所用で偶然にも来九、「北九州平和の集い」に立ち寄ってくださり、大槌ベースや
被災地が現在必要としている、被災地の人々の自立への助けとなる支援の重要性を訴えた。
被災地の方たちが大切にしている事を大切にする、愛しているものを愛すると言うこと・・
隣人として共に寄り添ってあげること・・いのちは自分だけのものではないと言うこと、
みんなと分かちあって生きて行くと言うこと・・・あらゆる問題が沢山あります、本当に荒んだ状況は
原発事故の問題に限らずあらゆるところにある、被災地の人々は心の苦しみ、脳の中の傷を
たくさん抱えていますが、しかし最も大切なことは、私たちがボランティアに行って変えられて
帰ってくる・・自分の生活の場に戻って、そのボランティア精神を生かすことです。
これに繋がらなければ自己満足で終わってしまいます・・それでは今までの自分、
今までの社会、今までの教会と何も変わらない。是非、愛を持って、愛を支えるために、
愛を育むために・・様々な体験をして行くことをお勧めします・・と挨拶した。

交流タイムの後、前田万葉司教(広島教区長)が紹介され、平和について、特に
昨年11月に出された司教団メッセージ「いますぐ原発の廃止を」について話された。
前田司教は東日本大震災の発生した当日、東京の中央協議会、日本カトリックセンターの
8階の事務局の部屋で震度5の強く長い時間の揺れにあったところから、その後の電力不足による
節電の様子や、節電することによる生活の変化の受け止め方などから話しはじめた。
なぜ、司教団が声明として「いますぐ原発の廃止を」を発表したか・・・もともとは「いますぐ」と言う
タイトルの表現ではなかった、もっと柔らかい表現だったが2001年に司教団から出された
「いのちへのまなざし」の中で、原発の廃止について触れなかった責任を感じ「いますぐ」と言う強い
言葉に変った。司教団声明(メッセージ)と言うのは、その一字一句について、司教全員が一致し
同意しなければ出されることはなく、会を重ね良く話し合われた上で、皆さんにも分かりやすいように
「いますぐ原発の廃止を」についてのコメントなども出されており読んで頂ければ良く
わかるかと思いますと話した。前田司教ご自身も、この流れの中で被爆地広島の司教として
平和についてもっと真剣に考え行動しなければいけないと感じたとのこと。長い司牧生活の中で
平和について危機感を抱き、深く考えた湾岸戦争(1991年)の頃に当時担当していた
学校の卒業式で、教え子たちに思い切って戦争の話をし、ヨハネ・パウロ2世教皇の
広島での平和アピールを用い~正義の戦いだとか聖戦と言うものはない、所詮は人間の仕業
なのだから~決して戦争はしていけない、皆さんはキリストの平和を学んできたのだから
卒業したらそのことを人々に伝える人にならなければいけないと話したところ、当時の新聞が
~カトリックの司祭が卒業式で湾岸戦争に触れると~まあ・・記者の目から見れば良く言ったみたいな
記事になったことはありましたが・・私自身は、それほど積極的に長崎の原爆のたいまつ行列などにも
参加する方ではなかったのですが・・広島に来てからは、初めて責任を持って行事なども行いましたし
様々なグループの平和行事や祈願祭にも出てみましたが、長崎と比べると広島は・・特に感じたの
ですが、原爆体験にしても戦争反対にしても風化してしまったのではないかと、心配を口にする方が
多いのではと思いますね。同じ被爆地の市長の平和宣言にしても脱原発には一切触れない・・
それに対して宗教者で抗議したところ、個人的には脱原発だが公には言えないとのことでした・・。
一方、長崎の方は諸宗教者の間の一致があると言いますか、進んでいると言いますか、それに対しては
市長さんが本当に大切にして、しっかりと宗教者懇話会の平和慰霊祭、原爆慰霊祭を誇りにし
長崎は平和を発信すると言っていましたが、これからは平和をつくると言うほどです・・。
原爆の日の平和宣言でも~エネルギー政策の基本方針を示してほしいと~ハッキリ言っていますね。
~カトリックが、司教協議会が、どの宗教よりも真っ先に声明を発表したと言うのは反響が大きい
ものでした。それに触発されて様々な宗教や団体が続いて脱原発と言うようになったと思います。~
最後に今年の、広島の原爆の日、平和行事に向けて教区内で平和俳句を募集したのですが・・
約1000句ほどが応募されてきましたので、その中に込められた思いを紹介して終わりたいと思います。
「九条を守り実らぬ原爆碑」・・・この憲法九条については脱原発の方にしても色々と思いはあるでしょう
しかし込められている言葉は、戦争をしてはならない・・・負けた時は誰もがそう思ったはずなのに
~ところが今は風化されたためか、戦争してもいいんじゃないか?こんなにも色々とちょっかいを出されて
黙って居れるかと~そう言ったことが戦争につながって行くし原爆につながると思うのですね・・。
人間の仕業ですから戦争が起きるかも知れない・・しかし戦争をなくすことだって人間のすることですから
できるんです・・そのために、どういう風にして平和をもたらして行くかです。子どもたちの句にありますね・・。
「平和はね、みんなの笑顔で始まるよ」「喧嘩して嫌になるより仲直り」「神さまは、いつもそばにいるんだよ」
とかですね、人間の力ではできないかもしれないけれど神さまの力によって平和を築いて行くことは
出来るかも知れませんね。もしも武器を作っていなければ、銃を許可する社会がなければ・・
争ったにしても殴り合うことだけで済むかもしれないですよね・・・核兵器をつくらなければ、
武器をつくらなければ戦争になっても被害は大きくないでしょうし、大量殺人にまでは
行かないかもしれないと言うことですね・・。その他に「雨蛙、代替えエナジーどこにある」と、
言うのもありますね・・。風力、水力、太陽発電と色々と知ってはいますけれども、
まだ人間が知らないでいる、原子力のような危険なエネルギーではないエネルギーが神さまから
どこかに与えられているかもしれない?と言うことでしょうか・・。とりとめもない話になってしまいましたが・・
私も今、歩きはじめたばかりのような気がするんです。広島司教として
平和については
自分自身が真剣に考え、深く祈り、行動をして行かなければならないと思っています・・と、話した。

第3部の平和祈願では、各小教区から参加した子どもたちが「子どもの広場で」つくった祈りの神輿?が
折り鶴や祈りの短冊などと一緒に奉納され、集いに参加した司祭や司教の手で祭壇前に飾られた。
「福島の子どもたちからのてがみ」の一文が子どもによって朗読されたあと、子どもたちや小教区からの
代表による共同祈願が行われ、会場に参加した一人ひとりの平和への思いや願いが短冊に書かれた。

集いの終わりに北九州地区信徒使徒職協議会の追立泰治会長(行橋教会)が挨拶に立ち、この
平和の集いが単なるイベントに終わるのではなくテーマに書かれている通り、一人ひとりが
「尊いいのち・新しい生き方を」少しでも考えるチャンスになれば良いと思いますと話し、
山元 眞 神父(北九州地区地区長・小倉教会主任)は、12回目と回を重ねた集いが時々・・
マンネリ化しているのではないかと言われることもあるが・・今日、みなさんが体験し感じたように
決してマンネリ化などしていないと話し、実行委員会の中村 彰 神父(戸畑教会主任)をはじめ、
企画してくださった実行委員や様々な分野で、この「平和の集い」のために協力してくださった
全ての皆さんに感謝のことばを述べ、私たちは聖霊の働き、神さまの恵みを信じて
キリストとともに、平和へ・・希望へと向かって新しい歩みを始めましょうと話した。
閉会では参加者全員で歌を歌い散会となったが、会場を後にする人々を背に
バンド演奏と子どもたちの歌声が響いていた。