心に響け《よきたより》
山浦玄嗣氏講演会



5月6日(日)、カテドラル大名町教会において
「世界広報の日」を前に福岡教区広報委員会主催の特別講演会として
「ケセン語訳新約聖書・四福音書」の著者として有名な医師、山浦玄嗣(はるつぐ)氏を
講師に迎え、講演テーマ”心に響け《よきたより》が行われました。


会場は大名町教会の1階講堂、入りきれずロビーにまで椅子を並べ立ち見が
出るほど、教区内各地区からの参加者で埋まる中、紹介された山浦氏は
いきなり薩摩言葉で挨拶をし、多くの皆さんの笑いを誘った。
はじめに山浦氏は岩手県大船渡市の小さな村で、たった一軒のカトリック信者の
家庭で育った生い立ち、多感な少年時代に周りの人に理解されることのない
キリスト教カトリックの信仰を持ち続けるなか、なぜ自分が大好きなイエスさまのことを
人々は嫌うのだろうか?イエスさまのことを書いている聖書が理解しずらい
言葉で書かれているから通じないのではないか?やはり「ケセンの人間」には
「ケセンの言葉」でなければダメなんだと思い・・・いつの日か必ずイエスさまの
ことばを自分たちの普通に使う言葉で書きたいと心に決めた。
成長し故郷を離れ医者となり子どもの頃の夢も忘れ生活していたある日、
故郷のおじさんが訪ねてきたときに、いつの間にか自分が故郷の言葉を
話せなくなっていることに気づきショックを受けた。忘れかけていた
故郷の言葉を思い出そうと様々な試行錯誤を重ね「ケセン語入門」を書きあげ
出版した。その後、ケセン語(岩手県気仙地方で使われる言葉)の正書方の開発と
文法の確立をし「ケセン語大辞典」も著作した。子どもの頃からの夢だった
四福音書をケセン語で翻訳して書こうと思ったが一行も訳すことができなかった。
伝わることばに翻訳しようと思えば思うほど聖書のことばが解らなくなってきた
調べれば調べるほど日本の言語では通じないことばであると気がついた。
その悩みを聖書学者であり言語学者である友人に相談したところ
日本語訳の聖書を翻訳するのではなく原典である古代ギリシャ語の聖書を
翻訳しなければ解らないだろうと言われ、60歳を過ぎてギリシャ語を学んだ。


ギリシャ語を学び聖書のことばが理解できるようになると、面白くて面白くてしょうがなく
なってきた。そこで日本語を介さずに2000年前のギリシャ語から直接
ケセン語に翻訳することを試みた、ケセンの人が耳で聴いて解る言葉に翻訳することが
必要であり漢語は一切使わない、聖書用語などというものも一切使わずに耳で聴く
ことばの響きで伝わるように翻訳することは難しかったがケセン語訳の四福音書が完成した。
ところがケセン語訳の聖書ができても当時、気仙地方の人口は約8万人
その中のキリスト者と言えばカトリックが100人、プロテスタントが100人、真面目に
教会に来ている人が4分の1としても50人・・必要とするのは、ほんの少しの人しかいないと
出版することをためらったが、当時教会の信徒会長であった熊谷氏(印刷業)の協力で
朗読CD付きの立派な聖書を出版することができた。またNHKが全国版で取り上げてくれた
ことで日本中に売れ、全国から「ケセン語」ではなく「世間語」で書いてくれと要望がきた、
ともかく本と言うのは読んで楽しくなければいけない、解らなければいけない。
 誰もやらないのならばと思い、「ケセン語聖書」で培った様々なノーハウを生かして
全国の方言を登場人物にあてはめ「ガリラヤのイェシュー」を著作したことを話し休憩に入った。


講演後半は昨年の3月11日に発生し自らも被災した東日本大震災当日の話から始まった。
大震災の当日、午後の診療の前に自宅書斎で時間も忘れ「ガリラヤのイェシュー」のゲラ校正を
行っていた、午後の診療時間となるため看護婦に呼ばれ外階段を下りて自宅隣にある
山浦医院の裏口の通用門を入ろうとした時に、あの恐ろしい地震に見舞われた。
地震は今までに経験したことのないような揺れで、大きく長く続き車酔いのように
吐き気がするほどだった。揺れがおさまり真っ暗になったあと大津波警報が響いた、
気仙と言う所は津波の常襲地帯で40年に一度くらいは大津波でやられ、その度に
人口の1割~2割を持って行かれているような所だが山浦医院は海岸から2キロも
離れているので未だかつて津波が来たことがなかったので、ここまで来るはずはないと
思っていたが、まず患者さんと職員を高台の市役所まで逃し自宅に居る妻のことが気になり
戻ったところ滝のようなすごい音がして周りには、家の残骸や車などありとあらゆるものが
渦を巻くように流されてきた。あの時、逃げ遅れずに自宅から出ようとしていたら
命はなかっただろうと思う、30分程してやっと水がおさまったが自宅は床上浸水で
半壊状態、外に出てみたら厚さ30センチくらいの泥で埋まり庭木には様々なゴミが
ぶら下がっていた。我が盟友の熊谷さんの事務所(印刷会社)は海岸沿いで、彼は
命からがら逃げて助かったが事務所は何もかも根こそぎ流され、無一文になり出版予定の
「ガリラヤのイェシュー」も流されたのだが私の書斎に原稿が残っていたので、それから
頑張って全くの無から、津波の中から不死鳥のように蘇り出版することができた。
津波の後はものすごい瓦礫の山で、その中には何百人と言う人が死んでいて腐敗して・・
9月ごろまでは魚と人間の死体の腐敗した、息も出来ないような悪臭が瓦礫野を
覆っていた。大震災の起こった3月は寒くて寒くてガタガタ震えながらも、生き残っている
我々だけで何としてでも診療を再開させなければいけなかった。隣の陸前高田市は
医療機関が全滅し大船渡市も市街地の半分は無くなってしまっていたから、
一生懸命になって診療所の泥出しをして灰の水曜日ならぬ泥の金曜日から
必死になって月曜日には診療所を再開した。寒くて薬もなくて本当に大変でした。
2週間たって、やっと電気と水道が復帰しましたが妻も看護婦ですから一緒に働いていて
家には食べるものも何もないわけですよ・・患者さんが食べるものを持ってきてくれたりして、
先生も歳なんだから「おだいじにな・・」なんて言われて・・一日も休まず頑張りました。
気仙の人間て言うのは津波慣れしていますのでね、みんな死ぬまでユーモアを
忘れないですよ、特に2週間、生きるか死ぬかと言う時には不思議な明るさと
不思議な陽気さに包まれていたんですね、あの悲惨な状態の中でも・・。
だけどね一ヶ月もすると、みんな疲れてくるんですね・・「俺、死んだ方が良かったって」
うつ状態になって瓦礫の海で自殺した人も何人も居るんですよ私の患者さんの中で・・
せっかく助かった生命なのにね・・・。年寄りは痴呆、人格崩壊、おかしくなって
朝から晩まで「死んだ方が良かったって」それしか言わない・・・それでも時間と
言うのはありがたいものですね、半年もしたら徐々に回復してくるんですね・・。
まだまだ大変なんですけれど、私たちは何とか頑張るでしょう・・「ガリラヤのイェシュー」も
あの「ケセン語訳聖書」の売れ残りも、瓦礫で近寄れなかった倉庫の泥の中から
出てきて・・テレビや何かで「奇跡の聖書」「お水くぐりの聖書」と宣伝されて売れて
熊谷さんの印刷会社も蘇ったのですからと語ったあと、「ケセン語訳聖書」や
「ガリラヤのイェシュー」の著作にあたって試行錯誤した翻訳について語りはじめた。


私は聖書を読んでいると本当に何が書いてあるのか解らないことが多すぎる気がする・・
キリスト教が日本にさっぱり浸透して行かないのは聖書が悪いのではないかと思っています。
例えばキリスト教は愛の宗教だと言う・・有名なことばですが「あなたの敵を愛しなさい」と
言うでしょう。そんなこと出来るわけないでしょう・・私だって憎ったらしい奴はいくらでも
いるわけですよ・・どれほど神父さまに言われたって愛せないですよ。そうするとですね
その度に罪深い自分をひどく恥じて、イエスさまは罪深い自分のために十字架に
お掛かりになったのだと思って、憎いやつの顔を思い出しては告解場に
行かなければならないわけですよ・・。これだとキリスト教と言うのは人を罪人にする
名人のような気がするので・・「あなたの敵を愛せ・・」この訳は本当なのかと疑問を
持つわけですよ。そこで調べてみると翻訳と言うのは「A」という言語と「B」という言語の
二つを橋渡しするもので、異なる二つの言語の言葉と言葉の、ある単語が
完全に同じだと言う事はほとんどないのです。例えば「くちびる」私たちが
「くちびる」と言うのは、口の周辺の赤い粘膜の部分、口紅を塗るところを言いますが
英語で「 lip (リップ)」と言ったりラテン語で「 labium(ラヴィウム)」と言うのは
鼻唇口(びしんこう)鼻の下、ほうれい線の内側の皮膚のことを言うんですね。
だから口髭「 moustache(ムスタッシュ)」のことを「a part the outer of the upper lip
(上唇に生える髭)」くちびるに髭が生えますか・・?つまり、「 lip(リップ)」と「くちびる」は
同じではない、あるところは重なるけれども違うところがあると言うことですね。
翻訳すると言うことは日本語の意味を良く知らなければならない、新約聖書の冒頭に
書かれている系図の「υιός」と「子」と言うことばは、「子」というところである意味重なるが
「子孫」という意味はないから「子」と訳してはいけない、聖書用語辞典のようなものを
作らなくてはいけないような翻訳をしてはダメですよ。「愛」というのは日本語では
「好きになる」と言う事ですよ・・感情の問題ですよ「愛」は「自己本位的感情」のことを
言います、これは一方的な上から下への表現なんです。今から420年前くらいに
「ドチリナ・キリシタン」と言う本がでたでしょう、その本では「αγαπώ」を「大切」と
訳しているんですね・・・これは名訳だと思います。明治初期に「愛」と訳されたが
神さまを「愛する」なんて言ってはいけない、神さまを「お慕い」しなければならない。
私たちは「大切にする」と言うことをあまり使いませんので、私は「大事にする」と
言った方が解りやすいと思っています。だから「敵を愛せ」ではなく「敵」と言うのは
「可能ならばその存在を消してしまいたい相手」ということですから、「敵であっても
大事にしろ」と翻訳すべきなんですね。「敵であっても大事にしろ」であるならば、
「上杉謙信が武田信玄に塩を送った」歴史を知っている日本人は、キリスト教的文化を
もっているわけで解ればキリスト教になるはずなのですが・・・?
翻訳がおかしいとしか思えないなんて言うと、あとで神父さまに告解をしに
行かなければならなくなりますが、私の翻訳聖書は「愛」のない聖書ですと
文章の例を取り上げて話し、沢山の笑い声が会場に響いた。


キリスト教がこの国で本当に根付いて、私たちが若い世代に活き活きとした喜びに
溢れて伝えるためには、急には変わらないでしょうが教会のことばを少しかえた方が
いいのではないかと思います・・私はただの町医者ですから、間違えもあるだろうと
思っております、ですからこれが正しいと言うつもりはありません。間違っているところは
指摘していただいて、次の版を作るときには更に良いものに作り直して行けばいい。
そうやって私たちの言葉で解る・・私たちが本当に活き活き元気にピチピチ明るく
暮らせるような、そういう「みことば」の本というものを作って行く努力をして行きましょうよ。
私は東北の片田舎の津波で洗われる情けない町の、一人間ですけれども一生懸命
頑張ってきました・・皆さんも、みんなでやりましょう。そしてキリスト教が本当に
明るく活き活きと、この国で花開くようにしましょうと話し講演を終え質疑応答に入った。


質疑応答では「心の貧しい人は幸いである」と言う聖句についての質問に山浦訳では
「望みなく頼りなく心細い人は幸せだ」「神さまの懐に抱かれるのはその人たちだ」となると答え、
真福八端の教えの「幸い」と言うことばについて「幸い」と「幸せ」は同じ文字を使うが
意味合いが違う、聖書では良く「幸い」が使われるが「幸い」は一般的には「もっけの幸い」の
意味で使われ「自己本位的な幸運」のことであり「幸せ」は「人と人との交わりのなかで
お互いがお互いを受け入れあって湧きだす喜び」の意味で使われる、これが人間が求めて
止まないもので、その為にはどうしたらいいのかを追及しているのがキリスト教では
ないだろうかと話した。他に創世記の話についてや、ことばの大切さについての質問、
また「ガリラヤのイェシュー」を読んでキリスト像が変わったと言う質問では文中表記に
ついて文例をピックアップして説明し、本の装丁カバーの絵についての質問については、
真っ暗の闇、人の世の闇と炎の中に人間の幸せはない、軍靴が踏みつぶして行く
野の小さな花に神さまの慈しみがある、神さまが人の心の中に植えてくださる花を
大事にすることが、人と人とがお互いに大事にしあう事が人間の幸せなんだよと
地に這いつくばっている人(イエスさま)が手を差し述べている場面を描きましたと答えた。


主催者側の挨拶に立った森山師は、「俺は、人を本当の幸せに導く。俺は、人が本当に
幸せになるなり方を教える。俺は人を幸せに活き活き生かす。」と言う山浦氏の翻訳した
「わたしは道であり真理であり命である」と言う聖句を読んだ時の驚きとともに、みことばが
心の中に入り込んだ気がしたと話し、山浦氏の話を聞けば多くの皆さんが活き活きと生きる
エネルギーをもらうのでではないかと思いお呼びました。沢山の御体験と研究を活き活きと
語ってくださったこと、沢山の力をいただいたとに感謝しますと話し、山浦氏の講演の
なかでも名前が出てきた熊谷雅也さん(イー・ビックス出版)を紹介した。
熊谷氏は、実は山浦さんの講演を世界で一番聴いているのは自分で、そのおかげで
東日本大震災で被災した時にも・・「永遠のいのち」神さまはいつも自分を、活き活きと
生かしてくれるように創ってくれているはずだな~と思えたのだと思います。
震災から一年経ちましたけど、こうして明るく元気に復活して「ガリラヤのイェシュー」も
出版で来たのは本当に自分の業と言うよりも、神さまが私を道具として上手く使って
くださっているという実感をいただきながら過ごすことができました。今日もこうして
皆さんに先生の講演を喜んで聴いていただいた、傍らに「ガリラヤのイェシュー」が
あるとうことが本当に私の喜びですと感謝の言葉を述べ講演会を終了した。


「演劇的な訳が生む新しいイエス像」、強い力をもって読む者に迫る。まさに「よきたより」と
毎日新聞でも紹介されたされた山浦玄嗣氏の「ガリラヤのイェシュー」を題材にした講演会は
大好きなイエスさまを活き活きと喜びに溢れて伝えたいと心から願う気持ちが
日本の歴史や文化に合う言葉を考え、言葉(単語)のもつ本来の意味は勿論のこと、
時代と共に使い方が変わって行くことも考え、インターネットで検索し、一般的に
どの様な使われ方をしているかなども調べて解析し、より工夫された表現で
翻訳された「みことば」だと思えました。講演を聴き直し要旨を文章にしてみると被災した
当時の様子などのお話しは、言い表せない辛いものもあったでしょうに気仙男のユーモアか・・
山浦氏のキャラクタ(演劇性)か?しっかりと笑いを得、会場では手を打って
笑って聴ける雰囲気もあり素晴らしい講演会となりました。当日、会場では
東日本大震災被災者支援の為のカリタスジャパンの募金もおこなわれました。