被災地ボランティアに参加して
(福岡教区報5月号より)

 4月6日と7日、宮城県塩釜市でボランティア活動に参加した。
塩釜教会にカリタスジャパンのボランティアベースがおかれている。
市の社会福祉協議会のボランティアセンターに登録し、そこから依頼先に
行って活動した。 初日は地元の男女学生6人と共に、1階部分が浸水した
住宅・店舗の泥かきと使えなくなった家財道具の運び出しをした。
屋内には水と油を含んだ泥が20センチ近く堆積していた。濡れた畳を運ぶのに
かなり苦労した。 昼食時は乾いた所を見つけて腰を下ろし、持参したパンを
ほおばった。皆泥まみれだった。学生たちは連日ボランティアセンターに来て、
片付けを手伝っているという。彼らのうちに、塩釜を必ず復興させるという強い
思いを感じた。活動を終えてベースに戻ると、当番の方が準備してくれた夕食を
共にいただく。夕食後にはミーティングが行われた。今日の活動の感想を述べ
たり、課題などを出し合う。 塩釜教会には入れ替わりながら20人前後のボラン
ティアが滞在していた。全国各地から、海外から参加した人もいた。ほとんどが
カトリック信者ではない。カリタスジャパンのことを知ったきっかけも、活動に参加
するようになった動機も様々だ。 夜は寝袋に入って休んだ。体のあちこちが
痛む。明日もがんばろうと思っているうち、いつしか眠りについた。二日目、沿岸
地域での活動に参加した。塩釜は津波の被害が少なかったとはいえ、船が岸壁
に乗り上げ、車がひっくり返り、家屋や工場が破壊されている様を目の当たりに
して、愕然とした。あの時、波が到達した高さが線となって建物の壁に残っていた。
この日は浸水した水産加工場と家屋の泥かきと家財の運び出しを行った。
泥が放つ臭気で頭がぼーっとなる。集中を欠くと思わぬ事故につながるので、
お互いに声を掛け合いながら作業を進めた。 泥を取り除き、水で洗い流すと、床
の模様が現れた。そのとき、はっとした。ここは生活が営まれていた場所なんだ、
と。生活のぬくもり、思い出の詰まった品々を運び出しながら、心が痛んだ。
家主さんは作業している私たちに何度も頭を下げ、「ほんとうに助かります」と礼を
おっしゃる。その姿を見るのがつらかった。失ったものの大きさ、今後直面すること
になる生活再建の険しい道のりを思う。作業を終えて、空っぽになった自宅の前に
立っておられる家主さんに、「お体に気をつけてください」と言うのがやっとだった。
二日目の夜、宮城県沖でM7.1の地震が発生し、震度6弱の揺れが塩釜を襲った。
津波警報のサイレンが鳴り響いた。私たちは高台まで走って避難した。塩釜の人
たちには、あの日の恐ろしい記憶が呼びさまされたことだろう。被災地の人々が物
心両面に負った傷は大きく、深い。彼らはいま、悲しみをこらえ、懸命に前に進もう
としている。また被災した人々を支え、共に歩もうとしている人たちがいる。
彼らのことを思い、これからも祈り続けたい。そして自分にできることを行っていき
たい。
                                崎津・大江教会主任 
                                     牧山美好神父


仙台教区サポートセンターより福岡教区「被災者支援室」に
連休明けからボランティアが減ってくると考えられるので、募集してほしいとのことです。

現在「被災者支援室」では、5月11日からと16日からのボランティア派遣は決まっていますが
今後も継続的に必要だと思われますので随時募集している状況です。

 50代、60代の人でもできる仕事も出てきていますので
希望される方は福岡教区の「被災者支援室」へまずは、ご連絡ください。