博多のキリシタン史跡を紹介
(長圓寺)


 
行ってみよう博多のキリシタン史跡(9月号)
長圓寺 福岡市中央区今泉2丁目4−17

大名町教会では「信仰年・高山右近・黒田官兵衛」に因み、
「博多のキリシタン史跡」を、6月の広報紙から1か所づつ掲載しています。

山門を入ってすぐ左に切支丹灯篭の竿石が残っています
 長圓寺は黒田如水の次弟(母が同じ)黒田兵庫利高の菩提寺として利高の子、
政成によって創られました。実直な性格で筑前福岡初代藩主長政の後見役を
こなし、家中の諸氏末々に至るまで慕われた名将。
黒田八虎の一人。 黒田利高は1587年、兄の勧めによって中津で洗礼を
授かった武将の一人でしたが、朝鮮出兵の折、病気になり1596年に
亡くなったため、清月寺という寺を建てて葬られました。
清月寺は当初夜須町にありましたが、長圓寺と名を変え福岡に移されました。
禁教の時代、仏教徒として葬られた切支丹たちには、その戒名に切支丹信仰を
表す漢字を当てはめたそうです。桐や丹、また多く見られるのは、無原罪の
聖母マリアを表す「月」の文字だそうです。
黒田利高の寺の名は清月、8月号で紹介したミゲル黒田惣右衛門直之の養女、
長光院よしの戒名にも、松月の文字が見られます。