博多のキリシタン史跡を紹介
(御鷹屋敷跡)


 
行ってみよう博多のキリシタン史跡(1月号)
御鷹屋敷跡(舞鶴公園内) 

黒田如水が最晩年を過ご した隠居屋敷の跡で、
現在はボタン・シャクヤク園になっています。
 黒田孝高(如水)は、高山右近の感化によって
1585年に洗礼を受け熱心なキリシタンとなり、
シメオンというキリシタン名を受けました。
孝高は1589年に家督を辞して如水と号し、領国を長男の長政に譲った。
 黒田家の筑前入国後は、新しく築いた福岡城の三の丸の一角に
御鷹屋敷と呼ばれる隠居屋を建て余生を送った。
 如水の隠居生活は妻の光と数人の使用人のみの大変質素なものであったという。
また、時折城下の子ども達が如水と遊ぶために
御鷹屋敷を訪れていたという逸話が残っている。

(源光院跡)

 
行ってみよう博多のキリシタン史跡(1月号)
源光院跡 (中央区西公園)

浦上四番崩れの際、浦上の流刑者のうち萩に連行される人々を
福岡で預かった場所が源光庵廃寺です。
 浦上の人々は狭いところに詰め込まれて、
食事もろくに与えられず改宗をせまられました。
萩から、引取りに来た役人は、囚われている人々の姿を見て、
「これは人に非ず」と、その扱いの酷さに驚いたといいます。