「被災地を訪問して」行橋教会で報告会

 

5月29日(日)、行橋教会のミサの終わりに東日本大震災・原発事故で苦しむ福島県に
縁のある信者さんが先週、被災地を訪問した時の様子を皆さんの前でお話ししてくださいました。

新幹線で福島に降り立った時に目に入ったのは「ガンバッテ福島」と書かれている横断幕・・
本当に福島にきたんだな~と思いました。北九州の明治学園の姉妹校で桜の聖母学院と言う
小学校から短大まである学校に恩師や友人が居るものですから、そこをお尋ねして様子を
伺うことができました。学校は大きな学校ですから部分的には震災の被害はあるのですが
大丈夫だったようです、その日(3月11日)は大変だったそうです。小学生の子どもたちが泣き叫んで
父兄が迎えに来られず帰れない子どもたちがでて、学校では子どもたちを守って帰れない学生たちを
修道院に泊めたりしてと・・そのうち津波が来て、原発の事故が起こって、シスターたちの中にも
お里が太平洋岸の南相馬市の浜通りや原発の近くの浪江町などの方が居て3家族・・4家族と
修道院を頼って避難してこられて、しばらく折り重なるようにして避難生活をされていたようです。
翌日、南相馬市の津波の被害を受けたところを案内していただきました。写真も撮っては見たのですが
素人写真ですから、お見せできるものでは有りませんので福島新聞社の出している写真集を
買ってきました。被害にあったところは、皆さんがテレビで見ている通りの状態です・・
ただテレビの四角い画面からは分からない・・被災地のひどさや匂いを・・自分の五感で感じることが
できました。生活の場であったであろうところがヘドロの中に埋まっている様子など・・
もう本当に言葉もでないですね・・被害にあった老人施設では100人もの入所者の方が
亡くなられたと聞きました・・その中には私のお友だちのお父さんもいたのですけど
幸い病院に入院していて助かったのですが、さらに群馬県の方に移されるそうです。
そういう所を見て言葉を失って何もいうことができなかった・・本当に理不尽なと言うか・・
なんで・・?と言う気持ちしか持てませんでした。福島市に帰る時に飯館村や川端町を通ったのですが
それは綺麗な山間の緑の深い静かな所なのですが・・でもそこが放射線量が一番高いからと
全村避難地域に指定されているんですね・・。けっこう南相馬市よりも福島市の方が放射線量が
高い所があると言うことで・・良くは分かりませんが綺麗な方ほど放射線量が高い・・
子どもたちを遊ばせたい所の方が放射線量が高いと言うことで子どもを持つ親たちは
みんな心配しているとのことでした・・・行った・・見た・・帰っただけで何のボランティアも
してきた訳ではありませんが記憶が薄れないうちにと思いました。私たちの共同体は
被災地の方たちのために祈ることができます・・それに募金も必ずカリタスジャパンや
教区を通して被災地の方に届くと思います、遠くにいる私たちですが直接、間接的に今、
何もできないにせよ決して忘れないように一緒にお祈りできる喜びを実感しました。

また、この日のミサに大神学院から来られた中嶋義晃 神父さま(さいたま教区)も挨拶も
そこそこに、1か月ほど被災地へボランティアに行って感じられたことを話して下さいました。

私自身は福島の教会でボランティアに来られる方たちの世話をするような仕事をしていましたので
直接現地で被災された方たちと接する機会はあまりありませんでしたけど・・ボランティアの方たちの
世話をする中で、震度5の余震にもあいました。ボランティアとして行くなら体力的にも精神的にも
一週間くらいが良いのではないかと思います・・。まだまだ現地の人々は仮設住宅も7月くらいにしか
できないと言うことで困っているのですが・・こちらに居ては何も私たちにはできませんし・・
行ったところで何ができるか・・?あまりできることはないのでしょうが・・一番できることは
お祈りすること・・義援金を贈ること・・もし現地へ行く機会があるのならば被災地の人たちの
心に寄り添ってあげること・・話を聞いてあげること・・それがたぶん心の支えになるのではないかなと
思います・・。ですから皆さん、もしも行く機会があったなら被災地の人々のことを忘れず・・
声を聞いてあげてください・・それによって癒されるのだろうと思います。

行橋・豊津教会では毎週ミサの中で被災された方たちのことを思い祈りを捧げています。
遠くにいる私たちにできることは限られているでしょうが大切なのは忘れないことだと思います。