~マザーテレサからの贈り物~
片柳弘史神父講演会

9月26日(土)の午後、福岡カテドラル大名町教会において福岡司教区
宣教企画推進部主催で片柳弘史神父(イエズス会、広島教区
宇部教会主任司祭)の講演会が行われた。
はじめに片柳弘史神父はマザーテレサとの出会い、コルカタのマザーハウスでの
ボランティア活動の中でマザーから諭され、心の奥深いところ…上(天)からの声をきき
司祭への道を志したと自己紹介を行い、自らが著作した「世界で一番大切なあなたへ
マザー・テレサからの贈り物」に、心温まる絵を描いてくださった
アーティストのRIEさんを、今一番注目されているカトリック信者の女性と紹介した。

 

世界中に笑顔を広げるアーティストとして活動しているRIEさんの
夢を描くことができず挫折し生活に疲れ、マレーシアのボルネオ島に
ホームステイで行き、物質的には貧しいが、心が荒んでいる、こんな自分でも
必要としてくれる認めてくれる…大切にしてくれる子どもたちとの触れ合いのなかで癒された。
子どもたちの笑顔に元気をもらって社会復帰への道が開けたと言う経験から
自分がもらった温かさや笑顔を誰かに伝えたいと言う夢が持てるようになった…
周りからは心配もされたが、全日空の60周年記念イベント「夢ジェット」の
機体デザインコンテストに応募し大賞に選ばれ、夢と言うのは諦めなければ
かなうと言うことを教えられた…マザー・テレサの「わたしは神さまの手の中の小さな鉛筆、
神さまが考え神さまが描くのです・・・」と言うことばの通り、私の絵を温かいと感じて
くださるのは温かいと感じてくださる皆さんの心の中に温もりがあるからこそ、
ただのイラストが一人ひとりの心の中にある温かさに響いて温かさを感じられる。
心の温もり温かさのサイクルと言うか、わたしの方が皆さんから温かさをいただいています
わたしで良ければ神さまお使いください…と言う気持で絵を描かせていただいていますと話した。

RIEさんのお話のあと、片柳神父は会場に設置された大型スクリーンに
マザー・テレサとの思い出の写真などを映し出し、マザーのことばを手掛かりに
いくつかの話をした。「あなたは愛されて生まれてきた大切な人・・・」この言葉は
マザー・テレサが生涯をかけて私たちに伝えたかったメッセージではないかと思います。
マザーは言葉でというよりも彼女の生き方そのものによって、このメッセージを
発信し続けた人だったと思います。どんなに忙しくてもマザーは時間を取ってくださるんです、
どちらかと言うと話すのではなく一時間なら一時間、相手の顔を優しく見つめ
ニッコリと微笑んで手を握りながら聞いてあげるんです…それだけで相手は
自分を大切にしてくれている人がいると立ち直って戻って行くんです。
マザー・テレサが良く言っていた言葉に「この世界で一番ひどい病は、自分は誰からも
必要とされていないと感じることだ」と言っていますね…実はマザーのところには毎日のように
その病を抱えた人たちが沢山やって来ていたんだけれどマザーの愛に触れて
この病が癒されていたという奇跡が起きていたんですね。「誰からも必要とされていない」
と言う病を治せるのは、ただ愛だけです。私たちは神さまからその愛を与えるという使命を
いただいている、教会はそういった病気を治す病院であるべきだと思います。
マザーは殆ど話さないんです、しかしマザーと出会って話した人たちは誰もが、
自分は本当にマザーから大切にされていると感じるんです。
マザーの全身がそれを語っていたんですね。一つは表情、本当にあなたに会えて嬉しいと
相手に解るような微笑み。そして眼差し、出会う人のことをじっと見るんですね…
ただ眺めていると言うのではなくキラキラしていると言うのかな、本当に大切なものが
現れて嬉しくて嬉しくて仕方がないと言った時のような目の輝き・・例えばスラム街から
死にかけたボロボロの貧しい人が運ばれてきても顔を近づけて、不思議に思うくらいに
目を輝かせて見るんですね…おそらくマザーはその貧しい人の中に生きておられる
イエス・キリストを確かに見ていた、その人のいのちの尊さ、いのちの輝きといったものを
見ていたからこそ、あれだけ目が輝かやいていたんじゃないかと思いますね。
そしてマザーは聴きます全身を耳にして相手のいうことを一言ももらさず聞いて
あげるんですね・・・そうすると相手には本当に関心をもってくれているとダイレクトに
伝わってくるんです。マザーは黙っているんだけれど黙っていることによって
あなたは大切な人なんだと伝え続けているんですね。あとマザーはヨーロッパの
人だからかも知れないけれど、手を握ってすごく近づいてくるんです。
肩とか腕とか手とか相手の体のどこかを握りながら話を聞く…これがやはりグッと
くるんですね、苦しくて苦しくて仕方がない時なんてマザーに手を握ってもらうだけで
スーッと心が軽くなる、どんなに言葉で、わたしがついているからと言われるよりも
マザーの大きな手でしっかり握りしめられていると、この人は自分のそばにいて
くれるんだと言う安心感ができるんですね。本当にマザー・テレサくらいになると全身が
メッセージなんです。マザーの存在そのものが~あなたは本当に大切な存在って~
いう福音のメッセージそのものだった。自分が大切な存在なんだと思えるのは
誰かに大切にされた時だけなんです…。あなたは大切な存在なんだと伝えたいなら
マザーがしていたように目の前のその人を本当に大切にすると言うことしかないと思います。
目の前の一人ひとりを本当に大切にすると言うこと…
これが私がマザーから学んだ福音宣教だと思います。

マザー・テレサの遺言状のなかから少し言葉を紹介したいと思います。
「周りの人から受け入れられず自分でさえ自分を受け入れられない時でも
神さまはあなたを受け入れてくださいます。」自分で自分が駄目だと思うと本当に駄目に
なってしまいます、それでも神さまは、あなたを受け入れてくださいますと
マザーは伝えたかったのだと思います。私たちは本当の自分よりも、ちょっとだけ
いい自分を思い浮かべているのだと思います。現実を突きつけられたときに
受け入れられずに駄目だと思ってしまうのでしょう、落ち込む、落ちるということで
考えてみると良くわかると思います。落ちると言うのは高い所にあると言うことなんです、
低い所にあるものは落ちないんです。つまり落ち込むと言うのは私たちの心が高いところに
あると言うこと、傲慢にも思いあがっているいると言うことなのかも知れません。
落っこちて傷だらけになっている私たちのことを神さまは慈しみ深く見ていてくださっていて
なんとか立ち上がって欲しいと願っているんです。もう駄目だと思って落ち込んでいるのは
あなたなんです神さまの思いは違うんです、神さまはそんなあなたに頑張って欲しい
立ち上がって欲しいと思っている、神さまはボロボロになったあなたを受け入れてくださって
いるとマザーは言っているんです。次の言葉は「愛されるために自分と違ったものになる必要は
ないのですよ、ありのままで愛されるにはただ心を開くだけでいいのです。」これはマザーの福音
だと私は思っています。愛されるために何かができなければ駄目だという思い込み、何かができて
人より優れていなければ愛される価値がないと思ってしまっているのではないでしょうか、
何かができるから愛される価値があると思っている人は、心の奥底では何かができないと
愛される価値がないと思っているんです。こう言う人は本当の愛を知ることはできないと思います。
この思い込みから解放されるためにイエス・キリストは来てくださったんです。
なんにもできなくても構わない、あなたがあなたであると言うだけで愛される価値がある。
それがイエス・キリストが私たちに伝えてくれた福音だと思います。
あなたは神の子である、そのことだけで・・あなたはあなたであると言うことだけで、神の子として
生きているということだけで愛される価値があるんですよ…それが福音であると言うこと
何か出来なければ駄目ではなく、その思い込みを捨てさえすればいいんです。心を開いて
無条件に何もできないわたしを愛してくださる人がいるんだと信じることができれば、
わたしたちはその瞬間に救われるということなんです。つまり人間は行いではなく
信仰によって救われると言うことなんです…。先日教皇さまがインタビューで
福音と言うことを短い言葉でいったらどういうことですかと質問されて
「神さまは優しい」と言われましたね。神さまはどんな時でも、わたしたちを見捨てない
ありのままのわたしを受け入れてくださる方なんだということなんですね…。
本の中から「遠くの人を愛するのは簡単です、ですが愛は家庭からはじまるのです・・」の
言葉を紹介し、家庭こそ福音を、わたしたちに実感させてくれる場ではないでしょうか
自分のことをあるがままに受け入れてくれる家庭、教会こそ大きな意味で家庭で
あるべきではないかなと思います。「わたしたちのしていることは大海の一滴にすぎません
ですが止めてしまえば大海は一滴分小さくなるのです」、この世界にどんなに多くの
人がいるにせよ、わたし一人が欠けることでこの世界は不完全になると言うことなんです。
それが神さまの思いだと言っているのです。私たちは必ず何か使命を与えられて生まれて
きます、その使命を終えたときに神さまのところに、天に召されるんです。
私たちがまだ生きているということは、まだ使命が残っているということなんです。
「大きなことをする必要はありません小さなことに大きな愛を込めればいいのです」
大きなことをしたいと思った時、それは何か人から褒めてもらいたいと思った時であって
人から注目されたいと思う時ですよ・・それは純粋な愛ではないんですね、誘惑と言っても
いいかも知れません。むしろ小さなことに愛を込めること、それが大切なんだと言うことです。
マザーから私たちが学ぶ「愛」と言うことについてお話してきましたが愛というのは語ることではなく
愛というのは生きることなんだと言うことではないでしょうか、生きたときにこそ愛になる
福音と同じですね理屈ではなく喜びにあふれて生きているときに、はじめて福音になる、
はじめて伝わる…そういうものなんでしょう。マザー・テレサにならって小さなことに大きな愛を
込めると言うことから始めて行ければいいかと思いますと結んだ。