今、憲法が危ない~
北九州地区で学びと祈りの集い開催


 

6月16日(日)、カトリック小倉教会において「今、憲法が危ない~
このままでいいの私たちの選択は?」と、呼びかけられた学びと祈りの集いが開催された。
この集いはプロテスタントとカトリックの枠を超え憲法改正の流れに危機感を感じる
信者等で作られた「憲法改正問題を共に考え祈るキリスト者の会」が主催し
一般市民を含め、カトリック・プロテスタントの信者など約200名が集い行われた。

基調講演に立った木村公一牧師(バプテスト連盟)は、はじめに自らが専攻する
キリスト教神学の話から、神学は歴史を解釈するだけではなく歴史を変革するという
仕事を担った学問です・・・神の国の福音の光に歴史を照らしださせて歴史を変えるのです。
政治の問題だからこれは信仰とは関係ない、教会とは関係ないと・・・いったことでは
この地上の上に福音のいきわたらない世界を築くことになってしまいますと話しはじめた。

木村牧師は歴史を振り返りながら平和憲法の改正(改悪)へと向かう流れについて
キリスト者としてNOと言うべきではないでしょうか~68年前、アジアへの侵略者としての
罪責を抱え込んだ私たち日本人は・・天皇制国家主義の挫折から新しい道、
つまり民主主義と不戦の誓いを土台に新しい日本をつくろうとしてきました~
どうしてもその新しい日本の再出発に、つまり憲法の核心に不戦の誓いがなくては
ならないと考えたのです・・それはアジアの様々な人たちに対する戦責告白でも
あったのです。憲法九条は広島、長崎、そして今日、福島の三度の被爆を
経験した日本に平和と正義の実現をするようにと・・その務めを課しているのです・・・。
こう言うと、よく質問されることとして・・もし攻められたらどうするんだ?と言われます~
YESかNOか?と・・・私個人の生き方は徹底して非暴力不従軍です・・攻められたら
悲劇が待っています~だからと言って、その暴力に対抗する軍備を持つのですか?
そうしたら、もっと大きな悲劇が待っているだけでしょう・・・YESとNOの間に様々な可能性
キリスト教的な考え方、方向性と言ったものがあるはずです。プロテスタント教会には殉教と言う
死の概念が公式にはないのですが、歴史の中には多くの殉教者の名が記されています。
また、侵略者に対して暴力を振るわない・・人々の盾となる~イラクでの人間の盾の話を
ここでしようとは思いませんが、攻撃を受ける人々にとっては逃げるチャンスもでてきます~
それに、YESでもNOでもない思いがけない解決の方法も有るかも知れない・・・。
今日しっかりと覚えようではありませんか・・私たちが憲法九条を守るのでは
ありません憲法九条が私たちを守り、正義の促進、平和の実現へと
送りだしているのですと話した。

 

基調講演のあと休憩後から、参加者から出された質問などについて
全員による分かち合いが行われた。
~なぜ憲法九条があるのに沖縄には米軍基地があるのでしょうか?日本は平和憲法を
押し付けられたと言われる政治家がいるが、いまだに沖縄には平和憲法が届いていないのでは?
~癒しを求めて教会に来られる方にとっては教会が社会の問題に取り組むことについて抵抗が
有ると聞きますが?~教会はなぜ政教分離について教えないのですか、信者間でも誤解が生じて
いるのではないでしょうか?~私は今、九条の問題を大変危惧しています?
~木村先生に、沖縄の視点から学ぶと言う言葉をもう少し具体的に説明してほしい?
~プロテスタントの教会でも、このような憲法問題について学ぶ取組はありますか?
~ヘイトスピーチなどについて皆さんはどう思いますか?
~初めて教会に入りました、宗教の人たちは保守的な人と思い込んでいましたが
これからはキリスト教の人たちとも話ができると確信しました。
~現憲法の前文は世界でも、たぐい稀なほど明確に、個人の尊厳と非暴力による
平和の大切さを訴えています~これはまさに福音そのものです。
キリスト者として迫害を恐れず辛抱強く行動を起こして行きたいと思います。
~憲法が変えられる時、国民の審判に問われると聞きましたが、どのような形で
問われるのでしょうか。どのような形で公表されるのでしょうか?などの質問や意見が出された。