あの日・今・これから
~被災地支援の集い~


東日本大震災から一年目の3月11日、各地で被災者追悼の
イベントが行われる中、小倉教会において第3回目となる被災地支援の集い
「あの日・今・これから」が実施された。


「あの日・今・これから」あの日、大震災が起こった日、震災が始まった日
それはまだ続いています。あの日、直接的に被災していない私たちは
震災によって、津波によって、原発事故によって・・愛する人や大切なもの
すべてをなくした人たちと寄り添いたいと思います。
ナビゲーター役の山元眞神父(小倉教会主任司祭)の挨拶のあと
大震災・原発事故の引き金となった午後2時46分の東北地方太平洋沖地震
発生時刻に合わせ130名を超す参加者が黙祷をささげた。
被災避難者トークとして原発事故のあと、幼い子どもを連れ実家のある
北九州市小倉北区に避難してきた福島県二本松市の主婦、岡直子さんは
地震発生当時の混乱の様子から原発事故、放射能汚染の不安をかかえ
被災時に妊娠初期であったことから、子どもたちのことを考えて
仕事の関係で一緒には来れない夫や福島の家族と離れ北九州市に
避難してきた当時のことまでを振り返りながら話し、放射能汚染の不安の中で
生活する現在の福島の人々や子どもたちへの思い、一緒に避難してきた
幼い我が子の心的ストレスの様子など、今も辛く不安をかかえる被災者の心境を語った。
トークの終わりに会場から岡さんご自身は今、何をお望みですか?との問いかけに・・
望みと言うか・・どうしようもないことですが平和だった震災の前に
原発事故の前の福島に戻りたい気持ちですと話した。


福島の子どもたちからのてがみ(朝日新聞出版)から地震や津波で被災し
原発事故で放射能にさらされた子どもたちからのメッセージが紹介された。
外で遊びたい・・なんで原発をこんなにたくさんつくったのですか?
わたしは何歳まで生きられるのですか?放射能汚染のために自分自身の命に
不安を感じた小学5年生の女の子のショッキングな問いかけ・・
原発がなければ、こんなことにはならなかった?福島に戻れる日を待ち望む
小学3年生の女の子の胸の張り裂けるような思い・・
あの日から、あたりまえの日常があたりまえではない・・?あの日・今・これからを
考え、人として支え合って生きて行きたいと願う中学2年生の手紙
一つ一つ子どもたちの切実なメッセージの朗読のあと、静かに心を打つ歌が歌唱された。


また、世界で初めて使われた原子爆弾投下から復興した広島の町の映像に続く
あの日・・津波と原発事故の映像から今、そしてこれからへ向けた被災地の人々や
子どもたちの映像によるメッセージがオルガン演奏をバックに流され
終わりに、バッハの前奏曲とフーガ・声なき慟哭が演奏されるなか
参加者は静かに被災地の人々の心に寄り添うよう聞き入った。

あの日から始まった震災は今も続いている、社会の基盤、一人ひとりの心の基盤が
揺らいでいる、このままでは崩れてしまう。これから私たちは、しっかりとした心
ゆるぎない価値観を持つこと、それは見えないものを大切にすること・・
あたたかい思いやりの心を持つこと・・子どもたちの未来を考えること・・
今、私が立っているところから新しい一歩を踏み出そうとメッセージが朗読された。
集いの終わりに挨拶に立った「被災地を支援する会」の代表である
追立泰治さん(行橋教会)は、今日呼びかけに応え集いに来てくださった方に
感謝の言葉を述べ、声を詰まらせながらも被災した人々の姿は
私たちのために十字架に付けられ苦しみを受けたキリストの姿に重なると
思いを語り、これから私たちは今まで以上に素晴らしい世界を築いて行くことで
被災した人々に恩返しができるのではないかと話し、参加された多くの
一般の方とも心を合わせアヴェ・マリアの祈りを捧げて被災地支援の集いを終了した。


この集いの様子は関門TV(インターネットライヴ中継)で中継されました。 
 http://kanmon.tv/live/ で観ることができます。