☆待降節第1主日 11月29日
「父のいつくしみのみ顔」を黙想し、仰ぐ
【みことば】
(T:エレミヤ33・14−16/U:1テサ3・12−4・2/福:ルカ21・25−28,34−36)
「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。
さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
…しかし、あなたがたは、起ころうとしている
これらすべてのことから逃れて、
人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
(ルカによる福音 21章34・36節)
【メッセージ】
待降節は静かにキリストの到来を待ち、準備する季節ですが、
日本では、師走に入り、とてもあわただしい季節でもあります。
日常の務め、忘年会などお付き合いや雑事に追われ、
静かに自分や神さまと向き合う時間も取れず、
クリスマスや年末を迎えてしまったという方も多いかもしれません。
日々の生活の中で自ら作り上げてしまった幻想、
あるいは神に向かうことを妨げる障がい物、それらがいつの間にか
自分の中で大きな位置を占めてしまっています。
私たちの「心を鈍くしてしまっている」様々なものから目覚めたとき、
私たちは神さまの到来に気がつくのです。
ゲッセマネの弟子たちは、血の汗を流して祈っておられる
イエスのそばで眠っていました。それは、イエスのみ業、苦悩を
ともに出来なかったことを表しています。
神さまはそこにおられるのに、
あるいは絶えず私たちのもとを訪れようとしておられるのに、
「心が鈍くなっている」
また、眠っている私たちには、それが分からないのです。
さて、「いつくしみの特別聖年」が始まります。
世界はテロの脅威に怯えています。暴力はまた新しい次の暴力を生み、
憎しみは際限なく膨れ上がっていくかに見えます。
弱者は切り捨てられ、強者の論理だけが横行するかに見えます。
そんな中で、教皇は、「人は歴史の中だけではなく、永遠に御父の
いつくしみのまなざしのもとにあり続けると告げる」(勅書7)
ことを求めておられます。
今年の待降節は、この教皇の呼びかけを心に刻みながら、
「目覚めて祈り」、御父の限りないいつくしみを体験し、
それに生きる日々でありますように。
(久留米教会主任・森山信三神父)
【大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」からの引用】
「いつくしみ―、それはわたしたちの罪という限界にもかかわらず、
いつも愛されているという希望を心にもたらすもので、
神と人が一つになる道です。」(大勅書2)
【振り返り】
1. これまでに御父のいつくしみをどのように体験したでしょう。
それはどんな感じでしたか。
2. あなたの「心を鈍く」しているものには、どんなものがあるでしょう。
いつくしみのまなざしのうちに振り返ってみましょう。
【祈り:「いつくしみの特別聖年のための祈り」より】
主イエス・キリスト、
あなたは、わたしたちが天の御父のようにいつくしみ深い者となるよう教え、
あなたを見る者は御父を見る、と仰せになりました。
み顔を示してくださればわたしたちは救われます。
☆待降節第1主日 11月29日
「父のいつくしみのみ顔」を黙想し、仰ぐ
【みことば】
(T:エレミヤ33・14−16/U:1テサ3・12−4・2/福:ルカ21・25−28,34−36)