待降節第2主日 12月6日 「愛に満ちたまなざし」をうけ・・・
T:バルク5・1−9 /U:フィリピ1・4−6,8−11 /福:ルカ3・1−6

【みことば】
「神は自らの慈しみと義をもって、栄光の輝きを表し、
喜びのうちにイスラエルを導かれる。」(バルク書5章9節)
「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎみる。」(ルカによる福音3章5−6節)

【メッセージ】
 中学生の頃のある晩、両親の船に乗り込み、漁に出かけた。
沖は波もなく、見上げると満天の星。魚も思うように釣れた。
時間が経つにつれ、船が揺れ始めた。空模様も一変し、
黒雲に乗って大雨と大風が小船を襲い始めた。
「嵐ばい、お前は空のいけすに入っておけ!」と父親の叫ぶ声。
少年はいけすに入り、ふたを閉め、「神様、甲板にいる
父母を助けてください。『天にまします…』」と懸命に祈る。
その時間の長く感じられたこと。しばらくして、波が穏やかになった。
いけすのふたを叩く音がして、そっと開けてみると、
両親のにっこりした顔がそこに見えた。
その時の少年の喜びはいかばかりだったか。
祈りは神への願いから感謝に変わった。
少年は、両親が毎日命がけで子どものために働いているのを
肌で感じた時を味わった。同時に、両親の姿に神の姿を映し見た。
「私がおまえを忘れることなど決してない。
見よ、私はあなたを私の手のひらに刻みつける」(イザヤ49章16節)。
神の愛は父母の愛と一致する。どのような子どもにも一様に
注がれる愛である。その愛といつくしみに富む神は、
ご自分のいとし子を世の人々の救いのためにお送りくださった。
たとえ、我が子が人々のために尊い命を与えようとも
構わない程に世の人々を思ってくださる。
そのことに信頼し、感謝の心で「主の道」を整えていこう。
来るべき主が世の人々への愛を持って歩まれる道を掃き清め、
でこぼこの道を平らにし、温かい宿を提供できる
私たちでありますように。
              (佐賀教会主任・下町豊重神父)

【大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」からの引用】
「神のいつくしみとは抽象的な概念ではなく、
わが子のことでからだの奥からわき起こる親の愛のように、
神がご自分の愛を明かす具体的な現実なのです。
実に『はらわたがちぎれるほどの』愛ということです。
この愛は深い自然な気持ちとして心からわき起こるもので、
優しさ、共感、寛大さ、そしてゆるしの気持ちです。」(大勅書6)

【振り返り】
1. これまでに親の愛、神の愛を受けた体験を思い起こしましょう。
   そのとき、どんな感じがしましたか。
2. 主のいつくしみが、あなたの内に、そしてこの社会に
   染みわたるために、どのように「主の道」を整えたらよいでしょうか。

【祈り:「いつくしみの特別聖年のための祈り」より】
あなたの愛に満ちたまなざしによって、
ザアカイとマタイは富への執着から解き放たれ、
姦通の女とマグダラのマリアは、
この世のものだけに幸せを求めることから解放されました。
ペトロはあなたを裏切った後に涙を流し、
悔い改めた盗人には楽園が約束されました。
あなたはサマリアの女に、
『もしあなたが神のたまものを知っていたなら』と語られました。
このことばを、わたしたち一人ひとりに向けられたことばとして
聞かせてください。