待降節第3主日 12月13日(喜びの日曜日)
教会がこの世において「主のみ顔」になる
T:ゼファニヤ3・14−17 /U:フィリピ4・4−7 /福:ルカ3・10−18

【みことば】
「お前の主なる神はお前のただ中におられ、
勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ、
愛によってお前を新たにし、
お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

                      (ゼファニヤ3・17)

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。」
                    
(フィリピ4・4−5)
「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。
食べ物を持っている者も同じようにせよ」
(ルカ3・11)

【メッセージ】
テロの脅威が師走の喧騒に追い討ちをかけるような中で、
「いつくしみの特別聖年」が静かに幕を開けました。
御父のいつくしみのみ顔そのものである御独り子(おんひとりご)
イエスのご降誕を待ち望む私たちに、「喜びなさい」という
変わらぬメッセージが告げられます。
私たちの心が準備されていようがいまいが、頭(かしら)である
御独り子に結ばれた教会共同体がこれを告げるのです。
洗礼と信仰によってキリスト・イエスに結ばれ、
主の耳となり目となり、手、足、口となって働くという使命、
主のいつくしみを伝える使命を受けている私たち。
自分の弱さや罪深さに捕らわれ、私はそんな使命に
ふさわしくないと感じる時、また、「この忙しい時に…」、
「いやいやこの問題が片付くまでは…」と
言い訳したくなる時こそ、預言者ゼファニヤや聖パウロの言葉が
いかなる時に語られたものかを思い起こす必要があります。
世の只中におられ、私たちの抱える問題がいかに大きいとも、
それを超えて、いやそれゆえに働かれる神のいつくしみが
彼らの言葉の土台です。
さらに、委ねられた使命にどう応えたらいいかを具体的に教える
洗礼者ヨハネの言葉に静かに耳を傾けましょう。
今の生活、仕事を離れるのではなく、
与えられた物を分かち合い、真心込めて仕事に励み、
家族や周りの人と関わりながら日々を過ごすなら、私たちを通して
主のみ顔がよりはっきりとした姿を現すことでしょう。
それをご託身(たくしん)の秘儀の継続と呼ぶことが
できるのではないでしょうか。
毎年同じことの繰り返しではないのです。
      (笹丘教会・今田昌樹神父〔聖アウグスチノ修道会〕)

【大勅書「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」からの引用】
「イエスの教えは、わたしたちがその弟子として生きているか否かを
理解するための、慈善のわざの数々を示しています。
身体的な慈善のわざをあらためて見てみましょう。
飢えている人に食べさせること、
渇いている人に飲み物を与えること、
着る物をもたない人に衣服を与えること、
宿のない人に宿を提供すること、病者を訪問すること、
受刑者を訪問すること、死者を埋葬すること―、これです。
さらに、精神的な慈善のわざも忘れてはなりません。
疑いを抱いている人に助言すること、無知な人を教えること、
罪びとを戒めること、悲嘆にうちひしがれている人を慰めること、
もろもろの侮辱をゆるすこと、煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと、
生者と死者のために神に祈ること―、これです。」(大勅書15)

【振り返り】
1.主の耳となり目となり、手、足、口となって働くという使命、
主のいつくしみを伝える使命を受けている私たち。
あなたはどのような使命を受けているのでしょうか。
2.「教会がこの世において『主のみ顔』になる」ために、
あなたは、また、あなたの属する共同体は、具体的に
どんな慈善のわざをおこなうことに招かれているでしょうか。

【祈り:「いつくしみの特別聖年のための祈り」より】
「あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
何よりもゆるしといつくしみによって、
自らの力を示される神のみ顔です。
教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる
主のみ顔となりますように。」