島崎教会

【歴代主任司祭と在任期間】

主任司祭氏名 在任期間
初代   ドゥーリー神父S.S.C. (Ireland) 1959年~1962年
第2代  ガラハ神父S.S.C. (Ireland) 1962年~1973年
第3代  コーフィールド神父S.S.C. (Ireland) 1973年~1975年
第4代  オサリバン神父S.S.C. (Ireland) 1975年~1982年
第5代  ヤングキャンプ神父S.S.C. (USA) 1981年~1983年
第6代  マクナリ神父S.S.C. (Ireland) 1983年~1987年
第7代  カリー神父S.S.C. (Ireland) 1987年~1994年
第8代  コーフィールド神父S.S.C. (Ireland) 1994年~1999年
第9代  キャロル神父S.S.C. (USA) 1999年~2005年
第10代 マルケット・ダニロ神父S.X (Italia) 2005年~2016年
第11代 アレサンドロ・トゥルコ神父S.X (Italia) 2016年~

【信徒数】 (2002.12.31時点)
 〈男〉 人 〈女〉 人 〈総数〉約300人

〒 860-0073

熊本県熊本市西区島崎2-10-11

TEL:096-352-5610

FAX:096-322-2112

創立年月:1959年3月8日

聖堂献堂年月:1971年11月3日

保護の聖人:幼きイエスの聖テレジア

【ミサ時間】

主日ミサ (土曜日)18:00(侍労院)

(日曜日)07:00(フランシスケン修道会)

09:00(島崎教会)

平日ミサ 06:30(修道院)

(金曜日)10:00(島崎教会)

【教会周辺道路】

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 【小教区の特徴と活動】

○聖体礼拝の日  毎週水曜日 08:00~21:00(小聖堂)

○福音と生活(ASIPA)  第2・4木曜日 10:00(信徒会館)

○聖書の集い(福音のヒント)  毎週金曜日 10:30(信徒会館)

※「カトリック入門」は随時行います。

島崎固有の典礼行事

○聖フランシスコ・ザビエル 「いのちの夜明け」 前夜の祈り

○毎年1月30日  小笠原玄也一家 「殉教記念日」 早朝の祈り

○キリストの聖体の祭日 「荘厳聖体行列」

○世界宣教の日 「聖テレジア祭」

【小教区の歴史】

 島崎小教区が誕生するまでの歴史について、少々紹介させていただきます。

今、熊本では、築城400年にちなんで様々な記念行事が盛大に行われています。

私どもの教会は、熊本城の西に位置し、その背には山々を控えており、山懐に分け

入りますと、その向こうには有明海が開けております。     

ここは、夏目漱石の小説「草枕」の舞台となった処でもあります。

明治22年3月、熊本では、パリーミッション会のジャンマリー・コール神父によって、本格的に福音宣教が開始されました。それは、明治10年の西南の役から12年後のこと

であり、時期を同じくして、この城下町に熊本市が誕生しました。コール神父は、現在の手取教会に宣教の拠点を置き、活発に活動を開始されたわけでありますが、当時、この城下町は、師の目にはどのように映ったでありましょうか。

  熊本城に程近く、その西に日蓮宗の名刹、本妙寺があります。

ここは、熊本城主加藤清正公の菩提樹でもあります。この周辺で、コール神父は、痛ましい光景を目にしました。当時、この本妙寺には、全国津々浦々から病めるハンセン氏病の患者たちが大勢集まってきていたからであります。

コール神父はこの光景に、何を感じ、何を見られたのでありましょうか。

師が見られたのは、キリストの姿、その人ではなかったかと思われます。以来、このハンセン氏病の人たちは、師にとって生涯の友となったのであります。

師の要請に応え、救ライ事業のために、明治31年10月19日(1898.10.19)ローマより、マリアの宣教者フランシスコ女子修道会の5名のシスターが来熊されました。

このシスター達の協力により、本妙寺周辺に於いて、本格的に救ライ事業が開始されました。私たちは、この愛の実践こそ、熊本の教会の礎であると考えております。

まもなくして、明治33年、現在の島崎の琵琶崎に、本格的なハンセン氏病の療養所、「待労病院」が創設されました。またここは、当時、フランシスケン修道会の日本における本部となり、シスター達の努力により、色々の福祉施設が営まれ、現在に至っております。

昭和34年3月、私たちの島崎小教区は、この修道会の愛の実践の実りとして、島崎の

地に誕生しました(1959.3.8)。

2009年、「50周年」という節目の年を迎えました。

ところで、私たちの小教区の歴史には、もうひとつ特筆すべきものがあります。

教会の西南に、花岡山という小高い山があります。今から160年程前の文政年間、頂上付近で、その山懐にひっそりと抱かれた、由緒ある墓が発見されました。

その伏碑には「加賀山隼人正興良息女墓」と刻まれていました。この墓の被葬者は、細川藩の権威ある歴史家の調査で、キリシタンとして処刑された、小笠原玄也とその妻マリアみや一家15名である事が判明しました。

この小笠原一家15名は、花岡山のふもとにある禅定寺で、1636年1月30日に処刑され、殉教したのです。当時、殉教者は罪人とされ、墓を造ることは禁止されていましたが、マリアみやの親族により、花岡山の地に隠し葬られたのであります。

このようにして、私たちの小教区内で、殉教の血が流されたのであります。

1936年(昭和11年)、殉教300年祭が盛大に行われ、これを機にこの墓地は、加賀山家から、カトリック教会にその管理が委託されました。

それ以来、この地で殉教祭が執り行われるようになったわけです。

私どもにとって、この殉教者は、島崎小教区の信者の初穂であると確信しております。

50周年という節目の年を前にして、2008年11月、長崎に於いて、「ペトロ岐部と187名の殉教者」の中に数えられ、正式に福者とされるという、この神の御摂理に、私どもは深い感動を覚えるのであります。

現在、島崎教会には、毎年、全国から、大勢の巡礼者が訪れてくれるようになりました。

 かえりみますれば、小教区創立から50年の間、神はあらゆる機会を通し、私たちに語りかけ、多くのお恵みを下さいました。このはかり知れない御摂理の中で、主から頂いた新たな使命に目覚め、私たちの島崎教会を、殉教者記念聖堂にしたいという希望を抱いております。

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