正義と平和全国集会2014福岡大会
いのちを大切にする社会をめざして~見て、聞いて、知って、働く~

9月13日(土)~9月15日(月)福岡教区では初めてとなる第38回正義と平和全国集会が
カテドラル大名町教会をメイン会場として行われた。この三日間の日程には
全国から850名の登録参加者があり講演会、分科会、現地研修会、シンポジウム
ネットワークミーティングなどの当日参加者を含めると950名を超えるほどの参加者が集う大会となった。

   

正義と平和全国集会とは開催する教区が主催し日本カトリック正義と平和協議会が
共催した形で行われるため開催される教区に主眼を置いた情報提供の場であり
日頃異なる問題や正義と平和の活動に取り組んでいる方々の交流の場ともなります。
また社会司教委員会を構成する司教さま方(大塚喜直司教、松浦悟郎司教、
菊池功司教、平賀徹夫司教)に加え、一日目の基調講演を引き受けてくださった韓国、
済州(チェジュ)教区の姜禹一(カン・ウイル)司教さま(韓国司教協議会会長)をお呼びしての
開催となった。開会の挨拶に立った宮原良治司教は、全国から集まった参加者の皆さんと
フランシスコ教皇さま訪韓の大イベントを終えたばかりの姜禹一(カン・ウイル)司教さまに
心からの歓迎とお礼の言葉をのべ、この大会を準備したスタッフ、実行委員の皆さんに
感謝の言葉をのべて、大会のテーマ~いのちを大切にする社会をめざして~
このために「見て、聞いて、知って、働く」~これはフランシスコ教皇さまが模範を示して
くださっているように社会の現実に目を向け現実を直視しながら、そこに福音の光をあて
時のしるしに応えて行きたい、キリスト者としての預言者の役割をはたして行きたい~
そのような思いが込められています。こういった趣旨を心に留めながら思い出に残る
有意義な、そして楽しい三日間の研修にしていただければと思います、と話した。
またローマでの研修のため参加することができない日本カトリック正義と平和協議会
会長、勝谷太治司教(札幌司教)から「平和を実現する人は幸いである」と言う
主の呼びかけに応えてひとり一人の小さな力を捧げるために私たちは集まっています。
ひとり一人の力は限られ関わるべき問題は数多くあり・・・それゆえに連帯するために
ここに集まっています。「からだは一つでも多くの部分からなり、からだの全ての部分は
多くても、からだは一つであるようにキリストの場合も同様である」と書かれているように
私たちひとり一人はそれぞれ別の活動に携わっていても、それらはキリストにおいて
有機的に結び合わされ一つのからだとされ一つの教会の活動、すなわちキリストご自身の
使命を引き継いだキリストの活動を継続しているのです。この集会を通して皆さんが
主の呼びかけと導きの声を注意深く聞き取り行くべき道を選択することができますように・・。
皆さんの活動の上に勇気と励ましが与えられ困難があっても歩み続けることができますように。
この集い全体を主が導いてくださり聖霊を通して神の豊かな祝福が与えられることを
心から祈っています。とメッセージが代読された。

開会式後の姜禹一(カン・ウイル)司教さまの基調講演では「東アジアの平和と福音的展望」
~韓国国民1%の済州島民と東アジアの平和実現を夢見ながら~として、記憶に新しい
セウォル号沈没事件から話が進められ先日のフランシスコ教皇さま訪韓の際のエピソードを
含め、現在も海軍基地問題などで揺れ動くチェジュ島(済州島)の問題について触れ
チェジュ島は、長い間、抑圧にさらされてきました。このような状況の中で、教会さえも、彼らに
耳を傾けなかったら、この人たちの訴えはどうなるのか~ミサが、海軍基地反対の
支えとなっています、韓国の司教協議会がチェジュ島への海軍基地反対に賛同したのは、
島民の苦しみを思ったからですと話した。基調講演の後半ではチェジュ島の暗く辛い歴史
である四・三事件について話し、この四・三事件は国家が国民をふみにじった事件であり、
大統領が謝罪しても、50年間の苦しみがいやされるとは思えません。
国民への真相解明がなされる必要があると訴えた。また1965年から1973年まで韓国軍が派兵された
ベトナム戦争についても語り、日本のピースボートに招かれた韓国の若い人たちが、現地で知った
韓国軍の信じがたいベトナムでの卑劣な行為を検証したくなり、「真実を求める旅」をして、
謝罪したいとベトナムを訪れたことなどを話し、国家権力が人権を踏みにじる間違いを行おうと
するとき、隠されている真実を明らかにすることはキリスト者の使命ではないでしょうか。
有史以来、国家権力を握った王たちはその権力を神からいただいたものと見せるために
祭司職を兼ね、自らを神格化し国家は超越的な力を持っているかのように思ってきました。
国家を絶対的な最高位に置かないために市民たちの草の根レベルのつながりで
国境や民族を超えて互いに連帯し協力しあうネットワークが必要であり、それが
繰返される悲劇から人類を救う唯一の方法ではないでしょうかと話し講演を終了した。

 

姜禹一(カン・ウイル)司教さまの基調講演を聴くことができます。
 基調講演1(58'22")         基調講演2(53'15")
    

講演会に引き続き「平和への思いを佐賀県から世界へ広めたい」と三人の高校生平和大使たちの
呼びかけが行われた。高校生平和大使として核兵器の廃絶と世界平和の実現を目標に
活動や、様々な人々との交流を体験するなかで、被爆者の生の声を聞ける最後の世代と言われる
自分たちが一人でも多くの方たちに伝えたいとと言う思いを元気に話しスイスの国連本部へ
高校生平和大使を送る募金と署名を呼び掛けた。


二日目はカテドラルでの主日のミサから始まり、大名町教会を中心とした会場での10の分科会
(韓国問題、死刑囚と出会う、薬物依存からの脱却、原発事故後の福島の現状報告、憲法問題、
キリスト者として働くこと、滞日外国人問題、障害者問題、女性と子どもの問題、世界の貧困問題)と
6カ所の現地学習(ホームレス支援A・B、玄海原発、水俣、筑豊、下関、菊池恵楓園)が行われた。

     
     

カテドラルの主日のミサは、韓国人徴用慰霊碑のある筑豊での現地学習を希望した
姜禹一(カン・ウイル)司教に代わり松浦悟郎司教さまが主司式をおこない参加した司教、多くの
司祭が共同司式をした。ミサの説教では「憲法9条を持つ日本国民」をノーベル平和賞受賞候補に
推挙したシーゲル神父(南山大学社会倫理研究所/神言修道会)がミサ後のミニ講演会に
つながる話をした。シーゲル神父は福音から~神はそのひとり子を与えるほどに世を愛された~と
いう言葉から「世」という言葉に注目したい、「世」とは何か?何を指していたのか?
たぶんそれはこの世にある価値観などのことを指しているのではないと思います。
~神は創造されたすべてのものを良しとされた~とありますから、「世」とは私たちひとり一人を
含めたすべてを指しているのだと思います。救いとは、この世の中で、愛の集い、和解、一致を
つくりだし来世でそれが完成したものとなると言うことだと思います。「正義と平和」はすべての
ものでは有りません、しかし私たちが周りの人たちと和解を築いて行くこと、人間が生かされる
社会をつくって行くことによって、この「世」の中に神の国を築いて行くことになるのだと思います。
「正義と平和」は常に和解を目指すもの、すべての人との交流を目指すもの、すべての人に
対して開いた心を持つものでなければならないと思います。しかし「正義」という言葉は基準が
先に有ると言うようなものではなく「ピッタリした生き方、在り方」と言えます、それは例えば英語の
「Justice」を見るとわかるように「ジャスト」という言葉、日本の言葉にすれば「ピッタリ合う」という
意味を含んでいます。つまり神が一人ひとりに与えられた、望まれた生き方に
「ピッタリしている」状態を実現するのが「正義」であると思いますと話した。

     
 
   

シーゲル神父さまのミニ講演会を聴くことができます。
 ミサ説教(24'56")        ミニ講演会(1h02'44")
    

分科会、現地学習を終えたあと、4つのネットワークミーティング(カトリック20条の会、
ピース9の会、死刑廃止を求める部会、平和のための脱核部会ネットワーク)が行われ、
全国から集う仲間との分かちあいや報告会の場となった。また聖堂では「正義と平和」の実現の
ためにテゼによるシンプルな黙想と祈りの集いも行われ、多くの皆さんが参加した。

最終日となる三日目は~いのちを大切にする社会とは~をテーマにしたシンポジウムが
大塚喜直司教(社会司教委員会会長)と奥田智志牧師(NPO法人「抱樸」理事長)をむかえ
森山信三神父の司会で行われた。シンポジウムはフランシスコ教皇の使徒的勧告「福音の喜び」を
ベースに話しが進められた。大塚喜直司教はフランシスコ教皇が選ばれて以来、教皇さまの
発言に注目し、内向きになっている教会の在り方をもっと開いて行かなければならないと言う
ことに共感して感じていると挨拶し、奥田智志牧師は永年のホームレス支援の活動を通し
北九州での支援活動においてカトリック、プロテスタントの枠を超えて協力し合っている
これを結び付けているのが目の前の野宿の人たち・・いと小さき者、小さくされた者たち
そういう存在が私たちを結び付けてきました。教皇さまは出て行かなければならない閉じこもって
いてはダメだと「傷つく」「汚れる」ことも覚悟しなければいけないという言葉も使われていることに
いたく感動しましたと話し、人間としての尊厳を傷つけられながらも少しずつでも支援者の活動を
通して人と人との関わり、つながり、絆を持つことによって回復して行く有様を見てきたと話した。
また「貧しい人は幸い」「他者性」「認識論的特権」「寄り添う」「エマオの旅人」「救い」
「自分が担う十字架」という言葉をキーワードに熱く語り、お二人とも関西人らしい
軽快なノリでシンポジウムは終了した。


シンポジウムを聴くことができます。
 シンポジウム(1h22'55")

シンポジウム終了後に宮原良治司教司式で福岡大会の派遣ミサと閉会式が行われた。
宮原司教は説教の中で、9.11を受けてのアフガニスタン攻撃やライ予防法における
「怠りの罪」について話し・・イエスから言葉をかけられたザアカイの話から、「ゆるし合い、
おぎない合うことが平和へとつながる。平和への第一歩は、私たちから」とまとめた。

閉会式では、日本カトリック正義と平和協議会から大倉一美神父(東京教区)が挨拶に
立ち、開催を準備してくださった福岡教区の皆様への感謝の言葉がのべられた。
また来年度は東京教区で「第39回正義と平和全国集会2015東京大会」を行うと発表し
来年9月21日~23日また東京で会いましょうと呼び掛けた。