「信教の自由と政教分離」シンポジウム報告


5月21日(日)カトリック小倉教会において「信教の自由と政教分離」という
テーマでシンポジウムが開催された。これは「北九州地区信徒使徒職協議会」や
「カトリック20条の会」「キリスト者九条の会」「北九州ACO」「Mの会」など
宗教宗派を超えたところで様々な問題意識を持ち活動する有志たちが集いつくられた
「信教の自由と政教分離シンポジウム実行委員会」の主催で行われた。
発題者として溝部 脩 高松司教、森上洋介 牧師(日本イエス・キリスト教団 小倉教会)
谷 大二 さいたま司教の3人が登壇し、それぞれ20分~30分の持ち時間で
問題提起をし、200名を超える参加者がともに分かちあい学びあう時間となった。


一番目の発題者として溝部 脩 司教は憲法20条をキリシタン史から考察する
として「国是と信教の自由」をテーマに迫害はキリシタンの頑固さにも起因するという
現代の日本にある考え方に立った視点から、信仰を貫くために殉教を選んだキリスト信者の熱狂さに
ある意味、日本の伝統と文化には馴染まない外国から来た危険な宗教であると捉えられたこと。
国の理に反する宗教は認められない合わないがために時代々の偽政者たちによって迫害されたと
言えると、豊臣秀吉のキリシタン追放令から国是である天皇を頂点とした神国として
国家をまとめようとした明治維新から太平洋戦争敗戦にいたるまでの歴史も取り上げ話し
終わりに、現代の日本で気になる発言として「美しい国、日本」「神の国」と発言した政権交代前の
元首相の一人は、その著書の中で、たえず昔の時代・・日本の伝統と文化に基づいた国創りに帰って
行く必要がある・・その中で教育基本法の改訂と言うところと、宗教教育を変えて行かなければ
いけないと論理を組み立てている・・天皇を頂点とする神道国家を通して日本国民を
まったく一致させて新しく活力ある国創りと言うことを考えているのだろうか・・?
国政に携わる人たちの、こう言った発言には深い疑問と不安を感じる・・と、問いかけた。


二番目の発題者である森上洋介 牧師は「神さまを無視するこの世の権威」と題して
自らの生い立ちをも振り返りながら元自衛官であったこと、その生活の中で教会に行ってみたいと
思い、真の神さまのことイエス・キリストのことを知り罪を悔い改め信仰を持った。
ある時、同じ平和を伝えるならば武力による平和よりも福音による平和を伝えるべきではないかと
考え牧師になる道を選んだことを話し、信仰の自由を認めない・・神さまを無視する
権威に出会ったときに私たちはどうしたらいいのだろうかと、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
日本に昔からある身分社会(制度)の中で人々は心の中ではどう思おうが表は権威に復し
世間の秩序を乱さないと言うのが基本的な生活の態度であり、それが地域社会で生き抜く
すべであったと言えます。幕末から明治・大正・昭和の戦後まで・・そして今もまだ
全能の神、唯一の神を認めない・・無視する権威社会との闘いであると感じます。
明治の大日本帝国憲法以来、日本の信教の自由とは権威に従い日本国民、臣民として
従って生きることでしか認められないものであるように思います。
私は、この日本に真の神さまを恐れる政府ができ神さまを恐れて誰もが愛しあい
戦争をしない世界が実現することを・・み国が来ますことを祈り微力ながら
みなさんと一緒に語り合い働いていきたいと思いますと投げかけた。


三番目の発題者、谷 大二司教は「憲法9条」と同じくらい大切な「憲法20条入門」として
司教団メッセージとして出された「信教の自由と政教分離」をもとにプロジェクターを用い
「靖国神社参拝問題」などに触れながら、こういった問題はこれからも起こりうるでしょう。
私たちは子どもたちに正しい判断ができる資料を提供しておく必要があると考えます。
「憲法20条」とは戦前戦中に20条に定められていることの逆のことが行われていたからこそ
戦後に厳密に定められたと言ってもよいでしょう。「政教分離」とは国家と特定の宗教団体が
特別な関係にならないように規定されています。私たちの人権、人間としての尊厳は
国家から与えられたものではなく神さまから与えられたものです。それを国家や団体、個人が
権力によって奪い取ろうとするならば奪ってはならないと、はっきりと伝えなければならない。
「信教の自由」というのは基本的人権ですから誰も侵してはならない。「政教分離」は
「信教の自由」を支える手段ですから考え方は国によって・・歴史によって違いが出てきます。
ある憲法学者は歴史的な背景から見て分かるように日本国憲法における「政教分離」とは
単に抽象的な国家と宗教との分離を意味するのではなく、具体的に国家と神社神道との
あらゆる結びつきを否定するところに意味があると言われています。戦中に犯した日本の
カトリック教会の過ちを振り返り「社会的儀礼」という言葉に私たちは神経質にならざるをえない。
どんな小さな些細なことからも「政教分離」というのは崩れて行くものであると思います。
最近「政教分離」以外にも様々な法律が改正のために議論されていますね、憲法を改正して
具体的な防衛の形を作って、思想教育をして・・国家は、やはり戦争のできる国へと
準備しているようにも考えられます。子どもたちが試練の場に立たされないように私たちは
守って行かなければならない。もしも子どもたちが試練の場に立たされた時に私たちは
子どもたちが自分で判断できるように適切な材料を準備しておかなければならない。
子どもたちの将来を守るために必要なものの一つは「信教の自由と政教分離」「9条戦争放棄」
そして12条から書かれている基本的人権、これは全て戦前戦中の反省から来ています。
ですから私たちは守る必要がある。「20条」は信教の自由、私たちの信仰の自由だけではなく
再び戦争への道を歩まない、子どもを戦場に送らない・・そのためにもあると思います。
信仰の自由というのは信仰を持つ人にとっても持たない人にとっても
大切なものであると思いますと話し発題を終えました。


質疑応答では「天皇制のある日本で信教の自由は?」に対し、溝部 脩 司教は今の日本の
「象徴天皇制」シンボルという扱いについては認めて良いと考えます。ただし偽政者たちが
天皇を国家の頭にいただき、神の上に置いた存在として扱い国家の祭祀を行い
国の宗教と言う形で神道の長であり、その国家の宗教に全ての人が従わなければいけないと
言うような国造りをするなら「政教分離」に反すると言うことですし危険であると考えています。
天皇制や天皇そのものを否定するとか天皇がいない国であればと言っているのではありません。


「宗教と政治が一体化することがなぜいけないのか?」と言う質問に谷 大二 司教は
キリスト教の歴史を見ても、お分かりのとおり政治権力と結びつくことによって
多くの人々を迫害した時代もあったわけです。例えば中世フランスの教会というのは
王族、貴族、上層階級(支配階級)のために奉仕する教会という状態ができあがっていて
労働者や社会の底辺にある人々のために教会が果たすべき役割を果たせなかったと
言う部分もあります。また日本の戦前のカトリック教会は政府の支配下に入ることによって
教会の存亡の危機を逃れようとしたわけですが、それによって結局戦争への道を
一緒に歩んでいってしまった。こう言ったところは素直に反省しなければいけない。
教会自体も、やはり政府とか権利を持つところとは距離を置いて自分たちの
福音に生きていけるような自由さを大切にする必要があると思います。
「政教分離」とは決して教会が政治的問題や社会的問題に口を出してはいけないと
言っている訳ではなく、立場を変えたところで神さまの代弁者として発言して行く
必要があると言うことだと考えます。


「もし神さまと世の中の権威がぶつかったら・・」の質問に対し森上洋介 牧師は
私自身にとっては神さまに従うことイエスさまに従うことが絶対ですから、この世の権威が
どのような手段で神さまの権威をないがしろにしようとしても、それと戦って行く神さまに
従って行きたいと言うのが私個人の思いです。日本の政治にそのような事態が起きないように
常日頃から監視して行く、小さな問題でも日頃から注意しながら日本の国が神さまに
喜ばれる国になるように、わずかな力しかありませんけど日本の国に真の神さまを認める
政治体制ができるようにと考えています。私も明治、大正、昭和、平成と天皇の個人的な
人格などを問題としている訳ではありません。言われているとおり日本が天皇を中心とした
神の国であると言うようなことがあるならば天皇制はないほうが良いと言うことだと考えます。


最後に「誰もが戦争をしたくないと考えていると思いますがなぜ国は戦争ができるように
考えるのでしょうか?また憲法20条に対しての現状は?」と言う質問に3人のシンポジストは
たとえば特定の宗教である神社神道だけが悪いとかを言っているのではない、いわゆる一般の宗教
宗教者は平和を求める気持ち、いのちを大切にする気持ちも一致していると思いますし
そして一人ひとりの人間の尊厳を、お互いに大切にして行こうと言う共通するものがあるわけです。
国家と特別な関係を持つことが危険な状態を産むと言うことだと考えています。
今までの歴史を見て行く中で、社会の動きを見ている中で政権交代前に自民党の新憲法草案と
言うものがでてきたことから2007年に日本の司教団は「信教の自由と政教分離」という
メッセージを出したわけです、また政権交代後も憲法改正と言う話も出てこようとしていますし
特に今のような大きな災害のあとで憲法の改正と言うのが言われます。それが直接
憲法20条に関わるのかどうかは分かりませんが注意しておくべきことだと考えますと話した。


参加者の声として、難しかったと言う声もあったが憲法20条と9条の関係性が分かったと言う
声や「政教分離」と言う観点から社会で起きている問題に対して関心を持って行きたいと思うと言う声もでた。