2013'福岡教区信徒使徒職協議会研修会

 

9月23日(月)カテドラル大名町教会において「社会の中の教会をめざして」を
テーマとした教区信徒使徒職協議会主催の研修会が開催された。
開催の祈りと聖歌のあと、挨拶に立った教区信徒協副会長の目良さんは、
様々な問題がある社会の中の教会共同体として、今、私たち一人一人が
具体的に何をしなければいけないのか・・・講話を聞き、また取組発表を聞いたあと
それぞれに分かち合い一人一人がキリストの望まれていることを知り、
新たな元気、勇気が湧いてくる集い(研修会)にできればと思いますと話した。


社会の中の教会をめざして~派遣された私たちに今できることは何?~をテーマとした
講話で森山信三神父は旧約聖書から「出エジプト記3:7~3:10」を朗読し、
これは神さまのことばでしょう・・・神さまが人々の苦しみを見た、叫び声を聞き、痛みを知った、
それゆえ神さまは降って行き彼らを救いだしたと書いてありますね。私はこの出エジプト記の3章と
第2バチカン公会議の「現代世界憲章」の冒頭の言葉は重なると思います。
~現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは
キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある~社会の中で悲しみや苦しみ、
痛みを持つ人々に教会は、つまり私たちは、どれほど寄り添うことができるかと言うことを
考えて行かなければいけないと言うことです。1963年にヨハネ23世教皇が出された
「パーチェム・イン・テリス」(地上に平和を)は、当時の危機的世界状況から出された回勅であったと話し、
「パーチェム・イン・テリス」に書かれた「軍備縮小」、武力にたよることによってではなく、交渉によって解決
すべきであると言う信念、「対話」、キリスト教の信仰をもたずとも理性の光に導かれ、自然な誠実さを
持っている人々との協働~誤謬と誤謬を犯す人は同一視できないと言うこと(つまり神の存在を認めない
共産主義をカトリックは認めないが、共産主義者がすべて悪いわけではない)、また「時のしるし」に
ついてもふれた後、ヨハネ23世教皇の~最後の審判の時に私たちが裁かれるのは、一致と平和を
実現することに成功したかどうかではなく一致と平和のために祈り、働き、悩んだかどうかである。~
伝統について~カトリック教会の伝統と言うのは過去に積み上げてきたものを重荷のように
担い続けることではなく、次々に立現れてくる事に対して即応する能力のことである~とも言われていると
ヨハネ23世教皇の言葉を紹介し、私たちはこの平和のために、平和を築くために何ができるのかも
今日は少し考えて行きたいですねと話した。またヨハネ・パウロⅡ世教皇の広島での平和アピール
~戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。・・・過去を振り返ることは
未来への責任を持つことです~の、言葉も取り上げ、今もしもフランシスコ教皇さまが日本に来られたら
広島・長崎だけではなく福島へも行かれることでしょう。私たちは福島と言う核(放射能)の問題も抱えてしまった。


・・・ユダヤの人々は今も挨拶として「シャローム」と声を掛け合います、この「シャローム」とは
「平和」を表す言葉でもありますが厳密に言うと~なにも欠けたところがない~と言う意味なのです
欠けたところがない、損なわれたところがないと言うこの言葉を挨拶として交わすことは
相手に対して~あなたは大丈夫ですかと言うことなのです。神と私がシャローム、私とあなたとが、
私と社会とが、人と人の関係が、大丈夫ですか?これがシャロームなのです。私が幸せでも社会の中で誰かが
苦しんでいたら、そしてその苦しみを見過ごしていたとしたらシャロームではないのです。
来年、福岡教区では「正義と平和協議会全国大会」の開催が予定されています。皆さんは「正義と平和」と
言うと、何もかも反対反対・・・と言って、政治的なことにまで口を出すと怪訝に思われる方も
居られるとは思いますが、「正義」の意味も聖書では少し違います。正しさ、道徳的な正しさも確かに
正義ですが、聖書で言われる「正義」とは、たとえば隣の人に何かが欠けていたら・・病気だったら・・
苦しんでいたら・・悲しんでいたならば・・・それを見過ごさないと言うこと。見過ごすと・・これは不正義です。
見過ごすと、そこには不正義が有って平和がないと言うことなのです~イエスさまの言葉を思い出して
見てください、パウロの言葉を見て下さい・・・正義のない平和はあり得ないと言うことなのです~と、
聖書の言葉を通して語り~あなた方が祈るときには、祈ったことがそのとおりになると信じなさい~と
イエスさまは言われていますね・・・必ず神さまが与えてくださると確信して一歩を踏み出しなさいと
言うことです。1967年に教皇パウロ6世は「ポプローム・プログレッシオ」(諸民族の進歩推進について)と
言う回勅を出されています。これはパウロ6世教皇が、教皇になる前後に世界中を旅行されて、世界の
様々な貧困の状況を見て心を痛められて委員会を招集し、この委員会に「正義と平和」の名を与えました。
~すべての神の民に現代が彼らに要請している役割を十分に認識せしめ、それによってより貧しい民の
進歩推進と国家間の社会正義確立に使いならしめ、さらに低開発国を援助して、それらの諸国の自力による、
自国のために進歩を可能ならしめること~を任務としました。~もっとも小さな人にしてくれたことは
わたしにしてくれたこと~と、聖書に書かれているように、また~私たちはパートタイムのキリスト者では
ありません。生活の中心がキリストであるなら、私たちの行い全ての中にキリストは現存します~と、
フランシスコ教皇も言われるように私たちは社会の問題に対しても無関心であってはならないと思います。
小さなことでも私たち一人一人が祈り求め、行動して行かなければならないのだと思いますと話した。


グループに別れての分かち合いと昼食のあと、午後からは参加者全員で「日本のいやしのための
十字架の道行の祈り」が行われた。この十字架の道行の祈りは東日本大震災で、福島の原発事故で、
被災し、悲しみと苦しみの中にある人々とともにおられる主イエス・キリストを黙想するもので
新鮮な感じを受けたと言う参加者や、あらためて被災地のひどさを感じたと言った方も多かった。
十字架の道行のあと、3名の方(九州CLC、福岡地区女性の会、北九州信徒協)が
それぞれに取り組まれたことを発表し午後の分かち合いが行われた。


研修会の終わりに教区信徒使徒職協議会、役員の紹介が行われ、担当司祭である
牧山勝美神父の挨拶のあと、教区信徒協としての今後の取り組みとして来年予定されている
2014年度、正義と平和福岡集会に向けてのPRと呼びかけが行われ、
聖歌「恐れないで」を全員で歌い、司祭の祝福を受け散会した。