~信仰の伝達~
行橋小教区堅信準備クラス門司港教会ミニ巡礼



5月10日(日)復活節第6主日のミサ後、行橋・豊津教会で、今年の
王であるキリストの主日に堅信を受けるために、準備をはじめた中学生たちの
旧門司港教会(門司教会管理地)へのミニ巡礼(体験学習会)が行われた。
対象者への司祭からの呼びかけに応え、集った受堅希望者は18名。
堅信準備クラスは4月に行われた「祈りの夕べ」から月2回、子どもたちが参加しやすい
日曜日の午後7時に集うように計画されている。今回は自分たちの生活する
北九州地区の宣教の歴史に触れ、身近なところで信仰を持って生きてきた人々や、
近くにある教会のことを知ることを一つの目的に、主日のミサから行われた。

   
   
   

行橋からは電車で1時間ほど、門司港駅からも見える教会の十字架を
目指して歩き、100段ほどの階段を上って、山の中腹にある門司港教会に着いた。
今は使われていない聖堂と司祭館の鍵を開け、オリエンテーションのあと
関門海峡を一望にしながら、それぞれに昼食をとった。資料を基に遥か遠い昔から
船に乗り、海を渡ってイエス・キリストの福音を伝えに来た宣教師たちや信仰を証して
生きた人々に想いを馳せた。~対岸に見える下関の港に、日本にキリスト教を伝えた
フランシスコ・ザビエルが、京都へ上る旅の途中に平戸から船で上陸したこと、それから
四十数年後、京都で捕えられ、ザビエルとは逆の道をたどり長崎の西坂で処刑された
日本26聖人が、下関の港から船に乗せられ日明の丘あたりに上陸したと言うこと、
その日明の丘では二十数年後に小倉の殉教者、加賀山隼人が斬首され
殉教した話しなども聞いた…。


現在の北九州地区は1889年に有安神父が福音宣教の種をまきパリミッション会に
よって育てられてきた、この門司港教会は福岡教区創立の前からある教会で
1953年の北九州大水害の山津波で流されるまでは、関門海峡を行き交う船からも
良く見えるゴチック建築の高い尖塔のある立派な教会であった、聖堂が流されたのは
主日のミサ後、教会にいた人々は聖堂入り口と司祭館の間にあったルルドの前に
集まり奇跡的に助かったと言う。信者さんたちの思いもあり「救いの聖母」と呼ばれる
マリア像のあるルルドも、移転建設した門司教会の巡回教会として後に再建された
門司港教会の聖堂と司祭館の間に再建されている。

     

短い時間での小巡礼ではあったが天気にも恵まれ、電車で移動することで
子どもたちも、ちょっとした旅行気分が味わえたのか?あまり時間を取ることが
できなかったグループに分かれて作成する堅信までの「日めくりカレンダー」作りの
作業もアイディアを出し合いながら仲良く楽しみながらできたようだ。