はじめて教会を訪れる皆さまへ

ようこそカトリック福岡司教区のホームページへ!
教会は皆さんのものです、どうぞ、ご遠慮なくいらしてください。
生きがいや神の救いをもとめている方々のために。
そして全ての人のために教会の門はいつも開かれています。
〜カトリック教会〜
教会に来ている人々は、誰もが、あなたのように正しい道を求めている人です。
教会は、みんなのためにあるのです。なぜなら、人間は、みんな神の子であるからです。
若い人も年配の方も、元気な人も弱い人も、学問のある人もない人も、
すべての人が神の子なのです。
神は、すべての人を愛しておられる方です。
あなたも、必ず神さまから愛されています。
私たちは、毎週日曜日に教会に集まって、
神を礼拝し、み教えを聞きます。
どうぞ、気楽に私たちと一緒に神に祈り、み教えを聞きに来てください。

目次

 1.日曜日に教会を訪ねて
 2.神父さまとは、どういう方ですか?
 3.神さまに何を祈ればよいのですか?
 4.教会の中を説明してください?
 5.日曜日の礼拝「ミサ」とは何ですか?
 6.神さまはどういう方ですか?

 7.イエスさまはどういう方ですか?
 8.マリアさまとは、どういう方ですか?
 9.聖書は、どういう本ですか?

10.カトリック教会とプロテスタント教会は違いますか?
11.修道院やシスターとは、どういうものですか?
12.家の宗派が違いますが、どうしたらよいでしょうか?
13.家でとなえる、やさしい祈りはありますか?
  1)主の祈り
  2)聖母マリアの祈り
  3)アヴェ・マリアの祈り
  4)平和を求める祈り
  5)使徒信条
14.カトリックの教えを学ぶには?

日曜日に教会を訪ねて

はじめは、わからなくても何も心配することはありません。
すこしずつ、わかるようになるでしょう。
まず、教会に入って、あいている席についてください。
教会には、式の途中でも、どなたでも入ることができます。
まわりの人と同じようにすればよいのです。
人がすわるときは自分もすわり、立つときは自分も立つというぐあいに。
不安を取りのぞくために、友だちをつくって、教えてもらえばよいでしょう。
まず、早いうちに、その教会の神父さまに自己紹介をしてください。
気持ちよく迎えてくれるでしょう。
                                                     

神父さまとは、どういう方ですか?

神父さまは、教会の指導者、神の道を教える人です。
ミサや他の礼拝を司式するので、「司祭」とも言われます。
みんなのために祈り、信者を導き、教えを説きます。
子どもも大人も、年配の方も、どなたでも気楽に神父さまに話し
かれと相談し、悩みを打ち明けることができます。
神父さまの住まいは、教会にある「司祭館」です。
自分のすべてを神さまと教会にささげますので、カトリックの神父は結婚をしません。
それは、みんなのお父さんになるためです。
また、イエスの教えを伝えるために「宣教師」として外国から来られた神父さまもいます。
むずかしい日本語を覚えて、日本人のために命をささげている方々です。
                                                     

神さまに何を祈ればよいのですか?

世の中には「苦しいときの神だのみ」という言葉がありますが
もちろん、困ったときに祈るのもよいでしょう。
でも、祈りは困ったときだけのものではありません。
 あなたは、どうしてこの世に生きているかを、考えたことがあるでしょう。
命、身体、毎日の糧、自然の恵みなどは、すべて、ただでいただいたものです。
どなたからもらったのですか?どなたがこれらを造られたのでしょうか?
あなた自身やあなたが使用しているものも、すべてが神さまの恵みです。
 祈ることは、まず、「神に感謝する」ことです。
あなたがいただいたすべての恵みのために、神に感謝してください。
今ここにいること、健康であること、幸せであることを感謝してください。
感謝することの大切さは、古来からの日本の考え方にもある通りです。
 また、祈ることは、「神を賛美する」ことです。
自然、小鳥、花、子どもたちの素直さ、すべての美しいものの中に、
神さまの知恵と偉大さを感じ取って、神さまを賛美してください。
 さらに、祈ることは「神にゆるしを願う」ことです。
私たちは、これほどの恵みを受けたにもかかわらず、神を忘れたり、
自分勝手に振る舞ったりしたことを思い出して、神さまにおわびしましょう。
 最後に、祈ることは、謙虚な気持ちで「神さまにお願いする」ことです。
あなたの悩みと必要なことを神の み心におゆだねください。
神さまは、私たちの幸せを望んでおられる方なのです。
神さまはどこにでもおられる方です。すなわち、祈る場所はどこでも結構です。
でも、教会の静かな雰囲気の中では、もっと落ち着いて祈れるでしょう。
平日でも、教会があいているときは、ひとりで祈りに来てもいいのです。
神さまに祈ることによって、あなたの心は安らぎを見出すでしょう。
                                                    

教会の中を説明してください?

教会は、私たちが共に神さまに祈り、み教えを聞く場所です。
そのため、みんなが一緒に集まれる広い場所となっています。
 入ってみると、真正面に、教会の中心となる「祭壇」があります。
式を司る司祭は、この祭壇でみんなの祈りを神にささげます。
特に、教会のいちばん大切な祈りである「ミサ」を祭壇でささげます。
祭壇の側に「朗読台」があります。それは、聖書朗読や説教をするところです。
 また、祭壇に「十字架」が飾られていて、信者はそれに向かって敬意を表します。
イエスが、すべての人のために命をささげられたことを思い出すためです。
両側の壁には「十字架の導行き」の十四場面が飾られています。
キリストのご受難とご復活を黙想するためです。
キリスト信者は、ご受難とご復活のことをしばしば記念します。
 また、教会には、マリアさまや他の「聖人のご像」も飾られています。
イエス・キリストにならい、模範的にみ教えを実行した人たちを思い出すためです。
もちろん、この方々は神ではありません。
 入口には、水の入っている器があり、司祭の祈りで聖別された「聖水」が入っています。
教会に入るとき、手の先を聖水に浸して「十字架のしるし」をする習慣があります。
これは、神から心を清めてもらいたいという気持ちを表すためです。
私たちは、「教会」のことを「聖堂」などと呼ぶこともあります。
正しく言えば、本当の「教会」は建物ではなく、文字通り、「教えの会」であり
そこに集う人々のことです。
 教会建築の内部・外部の形は、規定されていませんので、場所と時代によって、
様々な様式の教会建築が見られます。 
                                                   

日曜日の礼拝「ミサ」とは何ですか?

ミサとは、カトリック教会で行ういちばん大切な祈りです。
日曜日の他に、平日、また、結婚式、葬儀などの大事なときにも行います。
司祭が司式し、信者と共にミサをささげるのです。
ミサの起源は、キリストの最後の晩餐、彼が死を迎えようとされた時にさかのばります。
 その時、十字架の死を覚悟しておられたイエスは、食事の途中、パンと葡萄酒の杯を取り、
弟子に与えて、こう言われました。
「これは、あなたがたのために渡される私のからだである。これは、私の血である。
私の記念としてこれを行いなさい」
 そのとき以来、教会はキリストの言われたとおりに最後の晩餐の式を繰り返してきました。
それによってキリストの死と復活を記念し、私たちの救いのために
神にいのちをささげられたキリストに、心を合わせるのです。
 ミサのとき、私たちは、神のすべての恵みに感謝をささげることにしています。
それで、ミサは「感謝の祭儀」とも呼ばれます。
 なお、このとき、私たちはキリストを記念するために、まず、その教えを聞きます。
すなわち、ミサの前半には「聖書」が読まれ、「説教」が行われるのです。
日曜日に読まれる聖書の箇所は、原則として、「旧約聖書」から一箇所と、
「新約聖書」からイエスの「使徒たちの文書」と、「福音書」のそれぞれ一箇所です。
毎週日曜日、どの箇所が読まれるかは、全世界の教会のために決められています。
皆さんの便宜のため、その日の聖書朗読を印刷したものが準備されていますので、
教会の入口で「聖書と典礼」というパンフレットをお取り下さい。
それは、ミサが終わったあと持ちかえられても結構です。
 ミサの祈りの順序が書いてある小冊子もあります。それを使ってすぐなれるでしょう。
歌われる聖歌は、歌集として別冊にしてありますので
それぞれの教会で教えてもらってください。
 ミサの途中、みんなが立って祭壇へ進み司祭から「ご聖体」という白いパンをいただくとき
カトリック信者でない方は、席に座ったままお待ちください。
「ご聖体」は洗礼を受けた方だけがいただくことができるからです。
 また、カトリックの洗礼を受けていない方も神さまからの「祝福」を司祭を通して
いただくことができます。
ご希望される方は、列に並び司祭の前に出て手を合わせ軽く頭をさげて
「祝福をお願いします」と司祭に申し出てください。
                                                    

神さまはどういう方ですか?

神さまのことを知るためには、聖書の教えがいちばんよいと思います。
たとえば、バウロというキリストの弟子は、次のように説明しています。
 「神は、世界とその中にあるすべてのものを造られた方です。
天地の創造主ですから、手で造った神殿などにお住みになる方ではありません。
 また、何か足りないことでもあるかのように、人に仕えてもらう必要もありません。
神は、すべての人に命と息と、他、すべてのものを与えてくださる方です。
人々が神を探し求めさえすれば、見出すことができるでしょう。
なぜなら、神は、私たち一人一人から遠く離れておられる方ではないからです。
ある詩人が言ったように、『我々は神の中に生き、動き、存在する』のです。
だから、神を、人間の技と考えによる金、銀、石の像と同じものと考えてはなりません」
 なお、イエスは、神が私たちを愛してくださる「天のおん父」であると教えています。
イエスの弟子ヨハネも、「神は愛である」とも言っているとおりです。
                                                    

イエスさまはどういう方ですか?

イエスさまは、私たちに神の道を教えてくださった方です。
およそ二千年前、イスラエルのベトレヘムで貧しい状態でお生まれになり、
三十歳ぐらいで、国を廻って人々に教えたり、不思議なわざを行ったりされました。
 だが、わずか二、三年後、西暦三十年ごろ、十字架にかけられました。
ところが、聖書が言うとおり、三日目に復活され、弟子たちにお現れになりました。
全世界に み教えを伝えるようにと命じられたのち、神のもとへお戻りになりました。
イエスさまは、ご自分が旧約聖書で約束された「メシァ・キリスト」世の救い主、
また、天のおん父が世に遣わされた「神の子」であることを宣言されました。
ご自分の教えを「福音」、すなわち「よい知らせ」と呼び、それに従って生きるならば、
幸せになれると言われました。
 こうも教えておられます。
「自分と同じように、他人を愛せよ」
「自分が他人からしてほしいと思うことを、他人にしなさい」
「もらうよりも、与えることに喜びがある」
                                                    

マリアさまとは、どういう方ですか?

マリアさまは、イエスさまの母です。
イエスさまを育てただけでなく、十字架のもとに立つほどの勇気のある方でした。
 彼女は、救い主の母となるために、どんな人よりも神から恵みに満たされ、
だれよりも神さまと み子イエスをお愛しになった方です。
 そのため、教会の信仰の模範となり、私たちはその手本に見習うようにしています。
私たちは、マリアさまを尊敬し、神の前で取り次いでくださるように祈ります。
それで、教会や家庭でマリアさまの肖像を飾ったりするのです。
 なお、私たちは、イエスさまに従うように努めたすべての人々をも尊敬します。
かれらが天国で神さまから愛され、永遠の幸せを得ていると信じるからです。
その中で、いちばん模範的な人は教会で「聖人」と呼ばれ、
私たちはその取り次ぎを願い、その模範に見習うようにします。
 日本の教会にも多くの聖人がいます、その中で特に尊敬されているのは、
信仰をもたらした聖フランシスコ・ザビエルと、信仰のために殉教した二十六聖人です。

                                                    

聖書は、どういう本ですか?

聖書とは、神が行われた救いの歴史と神の教えを伝える本です。
「旧約聖書」と「新約聖書」に大きく分かれています。
旧約聖書は、イエスが生まれる前に書かれたもので、四十六の文書からなっています。
新約聖書は、イエスの生涯とその教えを伝え、二十七の文書からなっています。
「せいてん」旧・新約聖書は、ともにキリスト教の「正典」、すなわち、正式の教えの本です。
書かれた時代と文化圏が違うので、正しく理解するためにいくらかの準備が必要です。
はじめて読まれる方には、イエスの教えを伝える四つの福音書が勧められます。
わが国には、最近、いくつもの日本語訳聖書があります。
カトリック教会から出ているものには注解があります。それは、助けとなるでしょう。
 また、聖書を分かりやすく紹介する本もありますので、
はじめて聖書を読まれる方には、そのような本も勧められます。
                                                    

力トリツク教会とプロテスタント教会は違いますか?

カトリックとプロテスタントは、ともにキリスト教です。
聖書も同じです。
 けれども、聖書の解釈とそれぞれの教えには、多少の違いがあります。
信徒の数から見れば、世界のキリスト教の大部分はカトリック教会に属しています。
カトリック教会は、教えも指導も世界中で一つとなっています。
最高指導者は「バチカン」に住むローマ法王です。
教会では「教皇」と呼びます。
教会は「教区」に別れていて、各教区の責任者は「司教」です。
日本には十六教区があります。なお、各教区の中に多数の「小教区」があります。
 プロテスタントは、十六世紀、宗教改革の時、カトリックから分かれたものです。
現在、世界中で二万ほどの宗派に別れ、日本だけでも数百の違う宗派があるそうです。
最近、キリスト教の中に「再一致運動」が盛んになり、共同訳聖書も出版されています。
 なお「モルモン教」「エホバの証人」「統一教会(原理運動)」などは、その教えからみて
キリスト教とは言えないので、キリスト教から区別してください。
                                                    

修道院やシスターとは、どういうものですか?

教会では、いろいろな活動が行われています。
子ども・病人・お年寄りの世話、教育、宣教、研究などのような活動が必要です。
こういう活動には、何よりも献身的に働く気持ちの人が望まれます。
教会の中に、こういう目的のために働く有志の団体が、数多く生まれてきました。
これらの団体を「修道会」と呼び、教会の認可を得て事業に従事するものです。
 宣教、教育、福祉に一生をささげたい信徒は「修道者」となり「修道院」に住みます。
女性の修道者を「シスター」とも呼びます。
会によって服装は違いますが、修道会は、プロテスタントでいう宗派と違い、
すべて、同じカトリックです。
日本には、多くのカトリック系のミッション・スクールや社会福祉事業がありますが、
これらのほとんどは、教育修道会によって設立され、その力で支えられています。
 なお、世俗から離れ、修道院で祈りと仕事に従事して一生をすごす修道会もあります。
たとえば、トラピストやカルメル会はそのようなものです。
                                                    

家の宗派が違いますが、どうしたらよいでしょうか?

カトリック教会は、キリストの教えが正しいと固く信じていますが、他の宗教の教えが
すべて間違っているとは思っていません。
 教会は、他の宗教の中にあるよいところを理解するように努力しています
経験が示すとおり、人間は、自分の間違いに気が付かないことがよくあります。
また、弱い人間なので、すべてにおいて正しい人は、 一人もいないでしょう。
間違いは、もちろん正すべきですが、人の善意と心を何よりも大事にすべきです。
すなわち、教会は、それぞれが正しいと思う信仰に従う権利を尊重するのです
家に違う宗教を信じる人がいれば、お互いの気持ちを尊重するようにすればよいのです。
その上、カトリックでもお墓まいりをし、祖先に対する感謝を教えています。
すなわち、家の代々のお墓がないがしろにされる心配はありません。
 なお、カトリックの洗礼を受けていない方でも、教会での結婚式がゆるされています、
神さまの祝福を得るため、その前にふさわしい準備(結婚講座など)や手続きが必要です
ので各教会の司祭にご相談ください。
                                                    

家でとなえるやさしい祈りがありますか?

神さまに祈りたいときには、心の中で神を思いうかべて、自分の言葉で祈ればよいのです。
日本の習慣に従って、正座しながら手を合わせて祈れば、集中しやすくなるでしょう。
教会でも、同じように手を合わせて祈る習慣があります。
祈るとき、自分が一生懸命にやっている毎日の仕事を神さまにささげればよいのです。
よいことをしようとしているならば、その行いが必ず神に喜ばれるからです。
よいことをしようとする心は、神さまへのいちばんすばらしい供物です。
 また、祈る気持ちを助けるために、祈りの文句を覚えるのもよいことです。
教会では特に皆さんが唱える二つの祈りがあります。
一つは、イエスさまが教えてくださった祈りで、「主の祈り」と言います。


天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。


(エキュメニカルな集いなどで、頌栄を続けて唱える場合)
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。


アーメン

(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)
※この共通口語訳「主の祈り」は、2000年2月15日からの使用が許可されています。

                                                     
もう一つは
聖書の中の受胎告知のことばから取った、マリアさまへの祈りです。

聖母マリアへの祈り

恵みあふれる聖マリア、
主はあなたとともにおられます。

主はあなたを選び、祝福し、
あなたの子イエスも祝福されました。

神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、
今も、死を迎えるときも祈ってください。

アーメン

                                                     

マリアさまへの祈りの改訂版「アヴェ・マリアの祈り」です。

 アヴェマリアの祈り

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。

あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。

神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。

アーメン


(2011年6月14日 定例司教総会にて承認)

*「アヴェ・マリアの祈り」の確定にともない、『日々の祈り(改訂版)』
(2005年6月15日発行)に掲載されている口語訳「聖母マリアへの祈り」と
文語訳「天使祝詞」は、今後公式には使用しない。

                                                     
ほかに、アシジの聖フランシスコが作った「平和を求める祈り」もお勧めいたします。

平和を求める祈り

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
すべてを捧げて永遠のいのちをいただくのです

アーメン

                                                    
特に朝晩、神に一日をささげるためにこういう祈りを唱えることはとてもよいことです。
 なお、キリスト教の基本的教義を12カ条にまとめた使徒信条を祈りとして
唱えることも勧められています。



天地の創造主、
  全能の父である神を信じます。

父のひとり子、わたしたちの主
イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、
おとめマリアから生まれ、

ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
十字架につけられて死に、葬られ、
陰府(よみ)に下り、
三日目に死者のうちから復活し、

天に昇って、
全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。

聖霊を信じ、
聖なる普遍の教会、
聖徒の交わり、
罪のゆるし、
からだの復活、
永遠のいのちを信じます。アーメン。

2004年2月18日
日本カトリック司教協議会認可

                                                    

力トリツクの教えを学ぶには?

現代の私たちは、毎日の務めに追われて、ゆっくりと考える余裕がありません。
しかし、明るく生きるためには、いつか自分の生きる道を考える必要があるでしょう。
そのため、教会では、希望者を対象にいろいろな研究会を開き、家庭、仕事、
年齢の状況に合わせて、研究グループや時間を設けています。
 場合によって、個人でも指導を受けることができるでしょう。
お近くの教会の神父さまにご相談ください。