馬渡島教会




 【歴代主任司祭と在任期間】

主任司祭氏名 在任期間
初代  PELU神父
     (地区責任者)
1880年~1882年
第2代 RAGUET神父
       (責任者)
1882年~1888年
     深堀忠治神父 1987年
     岩永信平神父 1888年~1892年
第3代 MATRAT神父
       (責任者)
1889年~1921年
     高木源太郎神父 1893年
     岩永正象神父 1894年~1895年
     有安秀之進神父 1895年~1897年
     岩永正象神父 1897年
     浜端兵助神父 1897年~1899年
     片岡神父/平村神父 1899年~1900年
     水浦良蔵神父 1900年~1902年
     中村五作神父 1902年~1906年
     青木義雄神父 1906年~1909年
     J.BRENTON神父 1909年~1920年
第4代 水浦良蔵神父 1920年~1924年
第5代 有安秀之進神父 1925年~1924年
第6代 山口宅助神父 1926年~1927年
第7代 J.BRENTON神父 1927年~1941年
  (代理)木村義巳神父 1941年
第8代 平田 勇 神父 1941年~1944年
第9代 木村義巳神父 1945年~1958年
第10代 伊東誠二神父 1959年~1963年
第11代 田川清美神父 1963年~1984年
第12代 伊東誠二神父 1984年~1993年
第13代 畠山七郎神父 1993年~1997年
第14代 伊東成晃神父 1997年~1998年
第15代 田川 清美神父 1998年~2009年
(管理者)M.VILLA神父 2008年
(管理者)竹内英次神父 2008年~2009年
第16代 浦 俊雄神父 2009年~2016年
第17代 アルビン神父 2016年~





〒 847-0405
       佐賀県唐津市鎮西町馬渡島1767
               TEL:0955-82-9044
               FAX:0955-82-9044

  保護の聖人:聖ベルナルド

 

【ミサ時間】
 主日ミサ(土曜日)19:00 (日曜日)08:00
 平日ミサ なし
      











【教会周辺道路】


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        【信徒数】 (2007.12.31時点)
     〈男〉  人 〈女〉  人 〈総数〉 330人
      

【小教区の特徴】

  

【小教区の歴史】

 馬渡島の教会の歴史については、ブルトン神父 (明治42年から大正9年まで、さらに昭和2年から23年
 まで同島主任) の記録、および古老の伝えるところによってかなり明らかである。
 馬渡島の最初の信者は、長崎県西彼杵郡外海地方から移住してきた人たちで、文久元年(1860年)に
 さかのぼるとされる。7年後の慶応三年頃、亀蔵、倉吉、定四郎、元助ら馬渡の四人の信者が信仰のため
 に唐津の牢に入れられたことがあるという。亀蔵、倉吉は口先で信仰を捨てたが、あとの二人は頑強に
 教えを守って拷問を受けた。やがて迫害が終わって釈放された。
 明治12年までは外人宣教師は自由に国内を旅行できなかったので(長崎県下外国人遊歩規定)、馬渡を
 訪れる司祭はいず、信者たちがひそかに長崎に出かけていった。この年、外海の黒崎、黒鳥、平戸、馬渡
 を含む地区はペリユー神父に任され、この時から同神父か、㌣フでなければ他の若い宣教師が馬渡を
 巡回し始めた。島民の洗礼第一号は13年8月プトー神父が授けたもので、また同年十月七日にはボン
 神父も洗礼を授けている。翌年ペリユー神父が聖堂建築に着手、その年の11月5日完成して、プチジャン
 司教の祝別を受けた。同司教はまた、ここではじめて信者たちに堅信を授けた。同月28日にはフエリエ
 神父も姿を見せた。翌年六月ペリユー神父は長崎浦上に移り、後任のラゲ神父は黒崎を除く地区(黒鳥、
 平戸、馬渡) の責任者となった。この時代ラゲ神父かマトラ神父が馬渡を巡回、そのラゲ神父も21年には
 福岡に去った。
 20年以後、深堀忠治神父が6月と11月に、岩永信平神父が21年7月にそれぞれ馬渡を巡回した。
 30年、同地区は三つに分かれ、マルマン神父が黒鳥を、片岡謙輔神父が佐世保を受持ち、そして馬渡は
 平戸、生月とともにマトラ神父の受持ちとなった。(大正10年6月死去まで)。このマトラ神父時代も上記の
 岩永、片岡神父のほか、高木源太郎、岩永正象、有安秀之進、浜端兵助神父らが馬渡を巡回している。
 30年9月から水浦良蔵神父がはじめて馬渡に定住することになり、松島もその司牧下に入った。
 松島には信者六家族がいた。二年後の四月、水浦神父に代わって中村五作神父(36年まで)青木義雄
 神父 (36年のみ)そしてヨゼフ・ブルトン神父は42年7月から大正9年(1920年)9月まで、さらに水浦神父
 がブルトン神父の後に大正13年12月まで同島に留まった。14年5月水浦神父死去の後、馬渡は平戸から
 独立して松島と呼子を含む新地区となり、その責任者に有安神父(13年から15年まで)、そのあと山口
 宅助神父が唐津を兼ねて来島したことがあるが、福岡教区が長崎教区から独立する直前の大正15年、
 山口神父は長崎県に移り、ブルトン神父が再び馬渡の主任となった。
 上述のように、ペリユー神父時代の明治14年馬渡に初の聖堂が建設され、これがマトラ神父の手で拡張
 され、同時に司祭館も建設された。また同神父によって長瀬に、牧山リキら四人で授産場がつくられた。
 現在の聖堂はブルトン神父が昭和4年、平戸紐差の聖堂を解体して建て直したものである。
 塔もこの際に新しく取り付けた。チリー司教はこの年の5月21日まず呼子教会(旧馬渡の聖堂を移した
 もの)を、翌日22日馬渡の聖堂を、さらにその翌日23日に松島の聖堂を祝別した。