近づいて来られるイエスを知り、イエスと出会う

9月24日(年間第25主日)の午後、カトリック小倉教会において今年4回目となる、聖書講座が行われた。

講師は山元眞神父(小郡・鳥栖教会主任司祭)、テーマは、イエスの不思議な「わざ」をとおして。
はじめに山元師は、年間テーマである「近づいて来られるイエスを知り、イエスと出会う」
~福音書をとおして典礼季節とともに~に触れ、福音書をとおして典礼季節とともにですから
私も少し典礼について触れたいと思います、それはミサの所作とかではなく、典礼でイエスに出会うと言うことを考えたいと思います。皆さんもご存知の通り典礼には流れがあります、主日のミサでは3番目には福音書が読まれます。それはA・B・C年、マタイ、マルコ、ルカ福音書が3年周期で読まれます。
今年はA年マタイ福音書ですね。今年の聖書講座はミサの暦をとおして読まれる福音について考えてこられたと思います。後半に今回のテーマでもあるイエスの不思議な「わざ」のみことばを直接読みたいと思いますが前半は今、年間テーマについて少しお話しています、日本に来られている教皇庁福音宣教省の長官、フェルナンド・フィローニ枢機卿のお話されていることについて、そして典礼・典礼歴についてくらいまでお話しできればと思います…と話し始めた。
訪日中のフィローニ枢機卿の「皆さんなぜ日本に福音を伝えなければならないのでしょうか」
「福音を伝える」ためには、どうしたらいいのでしょうか。それは必要なのでしょうか。と言う問いかけ。
昔の宣教師たちも、初めてキリスト教がもたらされた地で必ず尋ねられた。なぜ、あなたたちの教えを私たちに伝えるのか。何故わざわざ、よその国の宗教を広めるのかと、問いかけた言葉。
枢機卿が強調する「キリスト教は宗教の一つなどではない」、「キリスト教は神による啓示であり、
イエス・キリストによって示された神のみ顔であり、愛であり、いつくしみ」だという、他の宗教との根本的な違い。
日本の信者の少なさや少子高齢化に理解を示しながらも「日本の人々は福音を必要としているのではありませんか」との問いかけ。「なぜこんなに多くの若者が死を選ぶのですか。日本には貧しい人はいないのですか。悩み、苦しむ人はいないのですか。病気の人や牢獄にいる人はいないのですか」だから福音を伝えてください、と訴えた言葉を紹介した。
福音を伝えることが教会の第一の使命だということです。教会も進化しているということ。今を生きる私たちに必要なことは福音に触れながら気づかせていただいて、日々新たにされて行くこと。教会とともに変わって行かなければいけないと言うことです。原点は、ハッキリしていますイエスさまの福音です。みことばです。今を生き抜く力を、神のことばによって私たちは与えられています。
典礼季節、「典礼暦年」に触れながら、信仰を見つめなおすいい方法は主日のミサに参加し、みことばを聞くことです。
もう一つ大事なのは最期の晩餐の記念、パンとぶどう酒がキリストそのものになるということ。そこで実現しているイエスは復活してそこに居られる、そのイエスが語られたことばを聞く、そしてイエスそのものを食べていただくと言うこと。
それを私たちは繰り返して、イエスのことばとイエスに出会って、息を吹き返して一歩踏み出す力をいただいて生きるということ、これが原点です。
私たちは福音書を通してイエスの姿、イエスが伝えて下さった御父の姿、聖霊のことを知ることができるわけですが、福音書とはいったい何か、イエス・キリストと言う人の伝記というふうに時々誤解されていることがあります。
福音書は「出来事を書き記した本」ではあるが「歴史書」でも「伝記」でもありません。どのジャンルにも属さない「福音書」は「福音書」です、イエスを伝えるものです。復活して主は生きておられる。それを伝えるものです。
復活の体験によって出来事が記されているということ、イエスの復活という体験によって知りえた意味が伝えられている。
あとになって悟った真理をそれ以前の出来事のうちに確認しながら、その出来事が書かれているものです。ですから書き手(編集者)の視点から読むことが大切なのだと思います。ひとつの読み方、聞き方として、今日あなたに呼びかけられているみことばとして、今日はじめて出会うかのように、みことばを聞くということが大事なことではないかと思いますと話した。
休憩後は、最近読まれた福音の箇所から年間第18・19主日のマタイ14章のパンの「できごと」とイエスが湖上を歩いた「できごと」を取り上げて話した。この不思議な「わざ」の物語をとおしてどういうメッセージが語られているのかを考える必要があります。一つ目はミサの中で行われる聖体祭儀ですね。そして青草の上に座るようにお命じになった、深く憐れまれた、病人を癒された、人々に食べ物を与えた、これは良き僕者の姿ですね。実際、この日、このことを私たちは典礼の中で読むだけではなく、ことばの典礼に続いて感謝の典礼でイエスご自身を分け与えられていただきます。
神は、こんなに増やす、すごいことをするんだよじゃなくて、神のすごさは一人一人に目をとめて憐れんでくださる。
私たちを青草のところに導いてくださる、そこに座らせて、ご自身を割いて与えてくださると言うことに気づいた人がそれを伝える、と言うふうに見ることもできるかと思います。
この続き年間第19主日を見てみましょう。この舟は、よく教会や私たち一人一人のあゆみにも例えられます。そこでは嵐にもあうし、困難にあう、主が見えない、そして沈みそうになり叫びます。主はすぐに手を伸ばして引き上げてくださいます。
「すぐに」と言うのが大切なことなのですが、「すぐに」です、主は近くに居られるから。これが一つの復活の表現なんです。私たちがイエスの復活を信じると言うことは、主が蘇られただけではなく、主が復活して今も生きておられる。
弟子たちが伝えた信仰というのは、主は確かに十字架につけられて殺された。その主が、今私たちと共におられる。
主が復活して今も生きておられる。今も生きておられると言うことに関して、私たちは非常に不安定なんです。
特にいろいろな困難に出会ったりすると、主はいないかのように見えるし、沈みそうになるんです。でも、どんな時でもどんな人とでも、私の状態がどんなに酷い状態であっても、主はともにいてくださる。これが信仰です。
是非皆さん、福音との関わりを大事にされてください。一つでも二つでもいい、私を活かしてくださる主のことばに出会うことができますように、と話し講座を終えた。