北九州地区聖書講座「殉教者の信仰を支えた福音」

4月22日(日)午後からカトリック小倉教会で、今年度1回目の聖書講座が行われた。
講師は深堀勝人神父(湯川教会主任司祭)、深堀師は長年、教区の殉教者顕彰の担当司祭として、
小倉の殉教者、加賀山隼人や熊本の殉教者、小笠原玄也・みや一家などの調査に関わってきた。
当時の資料などを基に今回の聖書講座のテーマ、信仰の証~ディエゴ加賀山隼人 殉教400年に
向けて~第1回「殉教者の信仰を支えた福音」について、「信仰の証」と言う切り口から話を始めた。

400年前の殉教者たちが聖書を読んでいたかどうかは分かりませんが、教えの前には必ず
「みことば」があるんですね。「みことば」がないところに教えはありません…
「みことば」が私たちに光を照らして「教え」が築き上げられてきたんだと思います。
正直なことを言うと私は歴史も苦手ですし、聖人や殉教者なんて…とうてい足元にも及ばない
ような素晴らしい人たちですから、倣うのは無理だと思っていたのですが「ペトロ岐部と
187殉教者」列福式を前に、福岡教区で殉教し福者とされる28人の殉教者の殉教録みたいなものを
作って啓示したほうがいいだろうと言うことで「殉教者とわたしたち」という本が出来上がり、
その前書きと後書きを頼まれて書きましたが。これは私が何か意見を持っているとかではなくて
教会の中に、そして当時のヨハネ・パウロ2世教皇さまの使徒的書簡の中に、日本の司教団の
殉教者を迎えるにあたってのメッセージ(大聖年の)とか、当時の福岡教区長、松永司教さまの
本の中にあった殉教者のことなんかを引っ張り出して書いただけなんです。
でもそれは、私が殉教者と関わりを持つなかでの大きな恵みだったと思いますので、それを
分かち合えるといいなと思いますと話し、郷土の殉教者(福者)を紹介しながら、フランシスコ会
訳の聖書のことばで、教会の教えから「殉教者と聖人の記念」「天上の教会と地上の教会
の交わり」「聖人の崇敬および死者の記念」などに引用されている聖書のことばを紹介した。
また大聖年の司教団メッセージ「殉教者はあかしするひと」で引用されていたマタイ10:16~10:20
や、松永久次郎司教さまの著書「キリストの背丈に達するために」からヨハネ12:24のみことばを
紹介し、教区内の殉教者の調査をしていた当時のエピソードなども話しながら、殉教者(福者)は
「信仰の証」だけではなく「愛の証」を残してくれた人たちだと思いますと話し「殉教者と
わたしたち」のまとめとして、教会が殉教者のことについて教えていることの奥には、必ず「みことば」
があると言うこと、「みことば」と表裏一体で教えは伝えられなければいけないということです。
そして信仰と愛は連動していると言うこと、信じることと愛することは一蓮托生なのではないかと、
わたしは殉教者から学んだ気がしています。加賀山隼人を顕彰している時に「信仰の証人」と言う
ことを「愛の証人」と言うことができた、それは彼が信仰を子どもたちにも伝えることができたと
言うことは、子どもたちを良く愛していたと言うことなんだろうなと思ったからです。
加賀山隼人の殉教が独善的なものであったとしたら、ミヤさんは16年も信仰を守り通して殉教しな
かったと思うんですね。信仰を伝えましょうと言うのではなくて、子どもたちをちゃんと愛して
あげてくださいと言いたいです。現代社会では特にそう思います。
私たちが来年、加賀山隼人の殉教400年を地区で迎えようとしています。来年10月には信仰的な観点
で加賀山隼人と共に祈り、そして私たちが殉教者に倣うことができたらなと思いますと話し
講座を終えた。