ものがたり

いのち ~愛・解放・出会いの体験~

LIFE : Experience of Love, Liberation, and Encounter

「礼拝」と「解放」というキーワードを核に生きるカトリックの女子修道会「礼拝会(正式名称:聖体と愛徳のはしため礼拝修道女会)」。キリストを信じるものにとっての「礼拝」とは?そして現代社会における「解放」とは?礼拝会の藤田優香シスターが4月25日に開催される予定だった福岡地区カトリック女性の会での講演原稿を寄せてくださった。コロナ禍において「いのち」をあらためて見つめてみたい。

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スペインの研修で。
中央で折り鶴をもつのが藤田シスター

 私は2月末から3月中旬まで修道会の研修でスペインに滞在していました。そして今は本部修道院で自主待機の期間(COⅤID-19感染拡大防止対策)を過ごしています。思いがけない祈りの日々に、修室の窓から沢山の花木を眺めることができました。桜の蕾が膨らみ、開花し、はらはらと散って、新芽の緑が青空を背景に生え出でるのをスローモーションのように体験することができました。COVID-19 という受難の時に現在病苦の中にある方々、最前線で命がけで対応している方々のために祈りながら、復活に希望をかける黙想が続いています。

 まずは私の最近の「いのち」の体験です。スペインでの研修には「礼拝と解放」という同じカリスマを生きている比較的若手の礼拝会のシスター24人が9か国から集まっていました。トラフィッキング(人身取引)、薬物、家庭内暴力などなどの被害にあった方々とともに歩むこのミッションは、国によってスタイルや方法は違っても、女性たちの心や私たちの課題の深層は共通していて、それを分ちあえたのはかけがえのない時でした。研修のあった修道院ではナイジェリア、ハンガリー、中国、スペインなどからのトラフィッキングの被害にあわれた方々と共に生活していました。シスターたちも女性たちも眩しく輝いていて、私の心は躍りました。

 

研修会の会場となったスペイン・バレンシアの修道院の聖堂

 私の所属する「聖体と愛徳のはしため礼拝修道女会」の名前は私たちのアイデンティティを表しています。そして会憲の冒頭には次のように書かれています。「この名前はわたしたちが礼拝する復活の主への愛と女性解放の使命への奉仕との間の一体性と関連を明示している。この礼拝者としての召命は、わたしたちの生活を観想と活動の統合とし、愛である御者への徹底した献身を要求する。」この使命を遂行するためには私たちは日々「いのちの泉」から飲まなければなりません。それがエウカリスチア(ミサ)であり礼拝なのです。

 私たちのカリスマである「礼拝」について会憲に次のように書かれています。「礼拝するとき、私たちは交わり(コムニオン)の神秘に導かれ、この神秘は神と、世界と、兄弟たちと、そして自分自身との一致へ開かれたものになるように促す。(会憲9)」。イエスの最後の晩餐で確立されたコムニオンに参加する事は、彼とともに彼のように語り生きる事への招待状を受け取ることになります。それは、不和、困難、人生を破壊しようとするすべての試みに対して反旗を翻すかのように「これは私のからだである」という絶え間ない主張なのです。礼拝は「受身」を要求します。積極的な受け身です。完全に明け渡した心で、「見られる」ことに任せると、彼の愛の視線が私を貫き、私を照らし、変容させていくのです。創立者聖マリア・ミカエラにとって「世界はひとつの聖櫃」でした。彼女にとって「礼拝するとは他の見方で世界と生活を見る事だったのです。「聖体のイエスへの継続礼拝」は独特の方法で「女性たちの解放と向上」の実践の中で、私たちの使徒的働きを目指す方向へと実現するのです。礼拝の使徒的意味は、礼拝そのものの構成的かつ不可分の側面なのです。

 

 私たちのもうひとつのカリスマである「解放」についての具体的体験をお話ししましょう。当時17歳のKちゃんと、ある地方の共同体で私は一緒に生活していました。Kちゃんは、小学生の時、何度も全国レベルのコンクールで3位以内に入賞する程音楽の才能がありました。しかし母親からの虐待がひどく、私たちと生活するようになりました。その後も母親からのコントロールは続き、音楽も学校も続けることができない程、精神的に追い詰められていきました。それでも調子の良い時のKちゃんは明るく楽しく、彼女との生活は私たちを活き活きさせてくれるものでした。彼女が生活の中で示すシグナル(昼夜逆転・不登校・パパ活etc.)は彼女のいのちが瀕死の状態であることを私たちに必死で訴えていました。

 

 バルセロナ大学の教員であるモニカ・ヒホン・カサ―レス著の「礼拝会の教育学」(2017)では私たちの「解放」のミッションの価値を「愛・解放・出会いの体験」と定義して分析しています。

 「愛の体験」…私たちは生活の中で、神様や家族そして姉妹から頂いてきた「あたりまえ」を女性たちに返していきます。朝起きたら「おはよう」、帰ってきたら「お帰りなさい」と声をかけ、食事の準備をして一緒に食卓を囲み、おうちをお花で満たします。虐待を受け続けてきた方々は、はじめは抵抗したり、暴力で返されたりすることもあります。私がおやつのために作っておいたケーキを「これ捨ててもいい?」といっていきなりゴミ箱へ入れられてしまったことがありました。それでも私たちを支えるのは「礼拝」の体験です。私は彼女の行為からどれだけ傷が深いかを痛いほど感じました。私たちのすべてを知っておられる主はどんな状態の私をも礼拝の中で受け止め支えてくださいます。私たちも主とともに彼女たちの痛みを感じながら受け止めていきます。

 

 「解放の体験」…礼拝会の創立者聖マリア・ミカエラは危機的状況にある女性の困難に対して、「本人」と「本人を取り巻く環境」という2つのアプローチを19世紀に既に行っていました。本人の持っている傷の癒しと理解を、医学や心理学など具体的な手段で解決していくとともに、彼女を取り巻く人間関係の調整や状況に対する社会の偏見・不当な差別や制度を具体的に告発していったのです。それはミカエラがイエスの変容させる力を信じていたからで、彼女は自分自身の感受性を責任をもって具体化していったのです。現在私たちも、「自分の傷に気づきそこから解放されたいと望む方々」へは専門家とともに「解放の体験」へと向かう方法を探していきます。そのプロセスは長く、「自分自身を見る事」→「自分自身を管理する事」→「意味づけする事」という道筋を通りアイデンティティを構築していきます。具体的には、共に住んでいるという特徴を生かして、寝る前に一緒にお祈りをしたり、一日を振り返ったりします。そんな中で「虐待を受けていた小さかった自分」や「大切な人を傷つけて自責の念にかられている自分」に気づいて涙する彼女たちに同伴させていただくのです。そのためには支援者も又徹底的に解放されている必要があります。

 「出会いの体験」…「出会い」は礼拝会の教育学においては「愛」と「解放」を活性化させる原理です。出会いのシンボルはコムニオン(聖体拝領)なのです。「私たちの在り方とアイデンティティを表現している「家訓」はエウカリスチア(ミサ)です。(…)だから私たちは、個人的・共同体的な生活の頂点として、エウカリスチアを祝うのです。そして生活をエウカリスチアへ、エウカリスチアを生活へもっていくのです。」(養成の総合プラン)この深い結びつきは難解な道から生まれるのではありません。むしろ「パンを割く」などの日常的姿勢の中から生まれる、神秘との、兄弟との一致なのです。私たちのテキストでは「出会うために出ていくこと」に特権を与えています。しかし現代の若い女性は問題を抱えても対面で話すことを好まずインターネットの中に答えを探そうとする傾向にあります。その結果、不適切なSNSに絡めとられてしまうケースが少なくない現状は2017年の座間の事件など、メディアの報道を見ていても明らかです。そして現在「COVID-19」の中で「出会い」の在り方がいろいろな意味で注目されています。「出会う」ことが躊躇われるもどかしさの中で「私たちはどう出会うか?」を今特に問われているような気がしてなりません。

 

 イスラム過激派タリバンによる女子校の破壊活動を批判し、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続けタリバンに銃撃されて頭部と首に2発の銃弾を受けたマララ・ユスフザイさんという女性がいました。彼女は2014年にやはり17歳でノーベル平和賞を受賞されたのですが、彼女の父親に記者が次のような質問をしました。「どのように彼女を育てたのですか?」彼の答えは単純でした。「私は彼女の翼を切らなかっただけです」と。前述のKちゃんの母親はとても教育熱心で、娘を完璧に育てたいと思っているようでした。素直なKちゃんは母親のいうことにすべて従おうとして、体調を崩していました。弱く病んでしまっていても子供にとってはかけがいのない母親です。「〇〇をしないほうがいいよ」「○○をしたほうがいいよ」と事細かにメールで指示され、そのたびに暴力を受けていた時の事がフラッシュバックして苦しんでいる様子はまるで翼を切られているかのようでした。

 

 こうしていてもヨーロッパや中南米からCOVID-19に関する祈りの連帯や、シスターたちや女性たちの状況がメールやWhatsAppで送られてきます。ある国のシスターたちは、受刑期間のある部分をシスターたちの愛に包まれて過ごす女性たちと共に住んでいます。彼女たちはその期間一歩も修道院から出ることはできず、毎日刑務官が訪問に来るそうです。現在外出制限が敷かれているこの国のシスターたちは、「いまはじめて彼女たちの本当の気持ちがわかった」と伝えてくれました。感染拡大した国では、罹患したシスターも、亡くなったシスターもいます。そして同じ研修に参加したシスターたちの多くがまだ自分の共同体へ帰ることができていません。トラフィッキングでいろいろな国々から来た女性たちのいのちを支えているシスターは、それぞれの女性たちの気持ちを受け止め(愛)、状況を考慮し(解放)、現代的な形で寄り添い(出会い)続けています。それは普段の何倍もエネルギーのいることのようです。だからこそお互いの“いのち”を支えあうために、今日も私たちは礼拝し続けるのです。

3月8日の女性の日に
研修会参加者で乾杯

 日ごろから各教会の司祭・修道者の皆様、女性の会をはじめとした信徒の皆様の「礼拝会の使徒職」へのお祈りと様々な形のご奉仕に深く感謝しています。今この苦難の時、共に礼拝の中で「愛」され、神の視線の中で「解放」され、ポストコロナにやってくる復活の「出会い」の時に又ご一緒に新しい「いのち」の日々をともに歩んでいけるように祈り続けたいと思います。ありがとうございました。


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