ものがたり

“小さな奇跡・子どもたちは地域の中で育つ” 宮津美光・みどり夫妻が語る「三つの奇跡」

 宮津美光・みどりご夫妻は熊本市のカトリック帯山教会の信徒です。

 ご夫妻は、熊本市の慈恵病院が2007年5月に「こうのとりのゆりかご」の運用を開始した、その初日に預けられた当時3歳の航一君の里親となり、後に養子として育てました。航一君は大学合格を機に出自を公表し、テレビ出演するなど話題を呼んだのでご存じの方も多いと思います。
 宮津夫妻が里親に至るまで、また現在に至るまでに行なってきた、地域の中の青少年の自立支援への背景には神の導きがありました。

             

宮津美光・みどりご夫妻

                 

                       

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“地域で見守り、地域で子育て”

―「NPO法人シティエンジェルスくまもと」を設立-

                       

                         

 宮津夫妻は熊本学生セツルメント (注) 連合での活動を通じて知り合い、1980年に結婚し5人の男子に恵まれました。お好み焼き屋「南蛮亭」を経営しながら、暴走族、ホームレス、耳が不自由な若者など、地域で見守り育てなければならない“小さないのち”に出会いました。

 この“小さないのち”は、大きなエネルギーを持っていますが、いろいろな事情で生活が困難な子どものことです。“自分自身を、友達を、そして家族を大切にする大人になってほしい”という願いを込めて彼らと関わってきたのです。地域に生まれたこの子たちが自立できるよう、5人の子を育てながら夫婦で話し合い、子ども会やPTAなど地域活動に積極的に参加してきました。“地域で見守り、地域で子育て”をモットーに、5人の息子たちを通じて、いろいろな活動に関わり、社会問題に取り組んできたのです。

                 

 当時は学校が荒れていて暴走族などもいました。美光さんは、地域として彼らが自立できるような何か応援ができないかと考え、青少年の自立環境支援ボランティアの会「NPO法人シティエンジェルスくまもと」を設立しました。

                      

                        

「シティエンジェルスくまもと」を設立

 

                                       

洗車クラブ

 そして暴走族などの少年に「車を洗ってみないか」と声をかけ、「洗車クラブ」に誘いました。

 当時は機械式の洗車がまだあまり無かった時代で、何でも手で行なっていました。そこで、一台洗うと500円をもらう仕組みを作り、地域の福祉施設や病院、保育園や学校に協力してもらい車を洗わせてもらいました。そうする間に、彼らは少しずつ生活のリズムを整え、仕事に取り組むことができるようになったのです。

                 

 「洗車クラブ」活動は1999年から2010年まで行いました。

                     

               

        

                                              

カトリック帯山教会 聖堂内

 ある時、この活動の中で出会った青年が結婚し、入籍したけれど結婚式を挙げていないことを知りました。カトリック帯山教会のV.ヤングキャンプ神父(1995年~2003年主任・聖コロンバン会司祭)に式を挙げられないか頼んでみようと思いつき、「お金を持っていないけれど、教会で結婚式を挙げられるでしょうか?」と尋ねました。するとヤングキャンプ神父は「お金は要らない。教会で結婚式をやりましょう」と言ってくださったそうです。熱心な信徒会の皆さんによるオルガン演奏と聖歌隊のおかげで、結婚式を挙げることができたのです。

 当時『熊本日日新聞』では、宮津美光さんの地域における活動記事が連載されていて、その一つとして、「若者を応援している…」とカトリック帯山教会での結婚式のことが大きく取り上げられました。

                 

               

                                                  

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 今回の「ものがたり」では、宮津美光・みどり夫妻が信仰生活を通じて経験した「三つの奇跡」について語ってくださいました。

                      

        

                                   

【第一の奇跡】 『マザー・テレサの祈り』との出会い 

                            

 お好み焼き屋「南蛮亭」を経営しながら、同時に「シティエンジェルスくまもと」など、地域で問題を抱える子どもたちのための活動に取り組んでいたある日、くたびれて血便が出たため病院で受診すると胃潰瘍と診断され入院しました。一ヶ月の入院中は夏休みだったので息子たちが店を手伝いました。

                  

 少し元気になったある日、病院から外出して自宅に戻ることができました。

 病院に戻ると、ベッドの上に『マザー・テレサの祈り』という小冊子が置いてありました。カトリック帯山教会の方が置いてくださったのです。

 21世紀になってから入信し、キリスト者として生きていこうと決めていた私は、この小冊子に心を打たれました。入院中、毎日読みながら涙を流しました。

 特に『自分より他人を』の祈りの中の「のどが乾くとき、飲み物を分ける相手に出会えますように」「私が空腹を覚えるとき、パンを分ける相手に出会えますように」は、読むたびに涙が出てきました。

                      

                       

                       

                            

 夏の終り頃、退院して家に帰りました。病院で毎日読んで涙が止まらなかった「のどが乾くとき、飲み物を分ける相手に出会えますように」を祈りながら、「私にも出会いがありますように」と祈っていました。すると9月1日、「南蛮亭」に3人の若者がやってきました。その中の一人が「16歳のホームレスの子」だったのです。マザー・テレサが出会わせてくれたと感じました。

                  

 この子の親を訪ねてみると、ホームレスになった理由がだんだん分かってきました。お母さんは統合失調症でした。近所では「この子の母ちゃん変わっている…」と言われていたそうです。子どもは児童相談所の隣の公園で寝たり、寒いときはマンションの上の方の踊り場で寝たり、時々は友達の家に行ったりして、ホームレスのような生活をしていたのです。大の字になって寝たことがなく、丸くなって寝るので腰から曲がり猫背のようになっていたのです。16歳にしては小さく見えました。

 宮津家では息子のベッドが空いていたので、お好み焼きを食べに来たこの子に「泊まっていかないか」と誘うと「いや、いいです」と遠慮しました。その時です。お店を出ようとすると、突然ドカーンと雷が落ち、ざーざーと大雨が降ってきたのです。「泊まって行きなっせ」 と神様が言っているんじゃないかと思いました。それから4年間一緒に暮らしました。前に働いていた新聞の夕刊配達に朝刊も加え、昼間はお好み焼きの配達を手伝ってもらったりして貯金も貯まっていき、アパートも借りて自立できるようになりました。

              

                   

                                   

【第二の奇跡】 暗闇に灯る光

                    

 あるとき、母子家庭でお母さんが子育てに悩んでいることを知りました。子どもは小学4年生で万引き癖がありました。万引きをするたびに学校の先生と謝りに出かけ、弁償してきたのですが、帰り道でまた万引きをしてしまうという悩みでした。

 その後、アパートを訪ねました。夕方、暗い部屋で小さな子どもがおもちゃの車で遊んでいました。狭く暗い部屋のなかで子どもが遊ぶ車のライトだけが光って見えました。“暗闇の中の一筋の光”が何故か心に残りました。子どもを抱っこすると、しがみついてずーっと離れませんでした。暗かったので「お母さん、電気をつけてもらえませんか」とお願いしました。お母さんは目が不自由(全盲)で、電気を付けなくても良かったのです。

 この家族は熊本市のカトリック健軍教会の信徒でした。シスターにも相談して、お母さんを楽にするために、夏休みの間この男の子をしばらく預かったのです。偶然にも、その頃、長男がこの子の学校の教員として勤めていました。しばらくして事件が起こりました。四男が少しずつ貯めていた貯金箱を、この子がこじ開けてお金を盗んだのです。叱ろうとする四男を、父親として「ゆるしてあげて」と頼んでも決してゆるしませんでした。でもそのお蔭でそれ以降盗むことは無くなりました。

                 

                    

 夏休みの終りにお母さんが迎えに来ると、この子は急いで靴を取って裏から逃げようとしました。お母さんが怖いと思って帰りたくなかったのでしょう。驚いたことに、お母さんは何かにつけて子を叱り、弟の頭をフライパンで叩いたり、ひどいときは包丁が飛んでくることもあったそうです。そんなお母さんを怖いと思い、おねしょをするようになったようです。

 我が家で預かっていた頃、毎晩おねしょをし、怒られると思ってパンツを隠していました。本人に聞いて夜だけおむつをしてもらい寝ていましたが、このような背景があってのことだとこの時に分かりました。このお母さんにとって、子育てが能力的に難しいということに気づき、児童相談所に相談して施設に預かってもらうことになりました。

                        

“里親制度を知る”

 夏休みに、児童相談所から、地域の子どもたちに対する活動についての経験を「専門里親の更新研修」の講師として話して欲しいと頼まれました。まだ里親制度を知らなかったのですが、帰りに「宮津さん里親になりませんか」と言われました。それから、初めて里親制度の講習を受け、ついに、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」から、我が家の里子第一号として航一君を預かったのです。

                       

                     

                     

【第三の奇跡】 聞こえているよ

                         

 里親制度では、同じ期間に4人まで預かることができることを知り、今日まで合計40人位預かっています。

            

 

 あるとき、4歳の男の子(Aくん)を預かりました。耳が聞こえていないのではないかと言われ、施設に行く予定でしたが施設が改修中であったため、その間、我が家で預かることになりました。

 カトリック帯山教会に連れて行き、「神さま、どうかこの子を助けてください」と祈りました。 Aくんは最初の頃、寝るときは“くまのぬいぐるみ”を抱いて離しませんでした。しかし、添い寝をしてあげて、絵本を読んであげているうちに”ぬいぐるみ”は無くても安心して眠れるようになりました。そして4歳になっていたのに、オムツもとれていませんでした。オムツが外れないと発達に影響があると思い、オムツを外すことに取り組みました。

 まずはトイレを楽しい場所にしようと可愛い動物が付いたシールを貼ったりしました。「こんにちは熊さん、おしっこに来ました」と言ったりしていくうちに、おむつも外れて自分でトイレに行くようになりました。並行してだんだん言葉も出るようになったのです。耳はちゃんと聞こえているんだなーと思いました。

 

                     

 ただ心を開いていなかっただけだったのです。お母さんが病気でネグレクト(育児放棄)になっていたので、寂しかったのだろうと思いました。そんな環境で育ったため、誰かが呼びかけても振り向かないということで、何か障害があるのではないかと思われていたのです。毎日、家族みんなで抱っこしたりしていくと、どんどん変わっていき、我が家を出る時に話もできるようになりました。「お花が綺麗ね」と2語文 も言えるようになりました。

                 

                    

 施設の改装が終り、暮れの12月に児童相談所から迎えが来ることになりました。急なことで、この子の気持ちは大丈夫かなと心配しました。施設に連れて行きましたが、別れるのがつらく、またこの子がショックを受けないよう、お別れを言わないで逃げるように帰ろうとすると、園長先生が「大丈夫よ。いつでも遊びにいらっしゃい」と言われました。

 半年後の誕生日に行くと、たった二ヶ月しか預からなかったのに覚えていてくれました。それから夏休み、春休みなど休みのたびに連れて帰って交流を続けています。トイレで黄色い便座を見つけて「これ僕のだ」と言い、私たちをお父さん、お母さんと呼んでくれます。 これからもずっと見守り続けて行こうと思います。

                  

 他にも多くの子どもとの出会いがありました。

 地域には、非行、学校不適応、不登校、いじめ、障害を持つ子とその子を育てる親がいます。“小さないのち”は、大きなエネルギーを持っています。これからも“自分自身を、友達を、家族を大切にする大人になってほしい”という願いを込めて彼らと関わっています。

                  

                   

                               


                     

            

                                

 現在、宮津夫妻は、お好み焼き屋の「南蛮亭」を閉め、「宮津ファミリーホーム」として、様々な理由で 実親 と暮らすことのできない子ども6人を預かり育てています。法的には第二種社会福祉事業の小規模住居型児童養育事業と言います。

              

       

                                      

(注) セツルメントとは、原義は住居を定めて身を落ち着けること(定住)です。転じて、知識人や学生が労働者街、スラムに定住して、労働者、貧困者との人格的接触を通して援助を与え、自力による生活の向上、社会的活動への参加を行わせるための運動・活動、施設、団体のこと。隣保事業とも言います。イギリスのロンドンのスラム、イースト・エンドにオックスフォード大学教授A・トインビーを中心にオックスフォード、ケンブリッジ両大学の学生が住み着いたのが始まりで、1884年、セツルメント・ハウスであるトインビー・ホールがつくられました。

                           

                       

* カトリック手取教会信徒会で開催している「いのちシリーズ」第四回講演会(2023年3月12日)で宮津美光・みどりご夫妻が「小さな奇跡、子どもたちは地域の中で育つ」をテーマにお話をされ、その講演とインタビューを手取教会の『手取だより』411号に掲載したものを、今回さらに編集を加えて福岡教区ホームページの「ものがたり」でご紹介しました。

→ 手取教会HPはこちら


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