イベント情報

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教皇フランシスコ逝去

4月21日(月)、教皇庁広報部は以下の発表を行いました。

            

今朝9時47分(日本時間午後4時47分)、ローマ教会のカメルレンゴのケヴィン・ジョセフ・ファレル枢機卿は悲しみのうちに教皇フランシスコが逝去したことを次の言葉をもって知らせました。

             

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん。深い悲しみをもって、教皇フランシスコのご死去をお知らせしなければなりません。

今朝7時35分(日本時間午後2時35分)、ローマ司教フランシスコは御父の家に帰られました。教皇の全生涯は、主とその教会への奉仕のためにささげられました。

              

教皇は、とくに最も貧しい人、最も疎外された人のために、忠実と勇気と普遍的な愛をもって福音の価値観を生きることをわたしたちに教えてくださいました。

             

主イエスのまことの弟子としての教皇の模範への深い感謝をもって、わたしたちは教皇フランシスコの魂を三位一体の神の限りない憐れみの愛にゆだねます。」

(2025.4.21 午後6時)

           

日本カトリック司教協議会 会長 菊地功枢機卿メッセージ

                

 日本のカトリック教会の皆様

                

教皇フランシスコの逝去に際して

               

 敬愛する牧者であった教皇フランシスコは、ローマ現地時間4月21日7時35分(日本時間4月21日14時35分)、88年にわたる人生の旅路を終え、御父のもとへと旅立たれました。わたしたちは愛といつくしみに満ちた力強い牧者を失いました。 初めての南米出身の教皇として、2013年から十年以上にわたり、これまで手をつけられることのなかったバチカンの機構改革や、第二バチカン公会議の成果を踏まえた教会のシノドス性の推進など、力強く教会を導かれた教皇フランシスコの逝去に際して、深い悲しみのうちに、わたしたちの希望の源である御父のもとでの永遠の安息を心よりお祈りいたします。

             

 1936年12月にホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてアルゼンチンで誕生された教皇フランシスコは、イエズス会員として、1969年に司祭に叙階されました。叙階後はイエズス会の養成指導者として、修練長や神学院院長などを務め、1973年から6年間は、イエズス会アルゼンチン管区長を務められました。

 2001年2月21日には教皇ヨハネ・パウロ二世から枢機卿に叙任され、2005年から2011年までの6年間は、アルゼンチン司教協議会会長も務められました。

 1992年5月20日、教皇ヨハネ・パウロ二世からブエノスアイレス補佐司教に任命され、同年6月27日に司教叙階、1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教となり、1998年2月28日から同教区大司教となりました。

             

 ベネディクト16世の引退を受けて行われたコンクラーベ(教皇選挙)において第266代教皇に選出された教皇フランシスコは、イエズス会会員として初めての教皇であり、七十六歳という年齢で選出されたにもかかわらず、力強く明確なリーダーシップをもって、第二バチカン公会議が目指した教会の改革を徹底することを目指されました。

             

 2013年11月には使徒的勧告「福音の喜び」を発表され、誰ひとりとして排除されない喜びに満ちあふれた教会の姿を目指す姿勢を明確に打ち出されました。その後、2015年5月には、回勅「ラウダート・シ」を発表され、共通の家である地球を守るために全世界の人々と協力しながら取り組むべき課題を明確にし、教会の進むべき方向性を示されました。 さらには第十六回世界代表司教会議(シノドス)を招集され、教会のシノドス性について、司教だけではなく、教会全体の声に耳を傾けるために、2021年から始まり2024年までの時間をかけて、教会全体がシノドス的な教会となる道を歩むように導かれました。互いに耳を傾け、誰も排除することなく、互いに支え合い、祈り合いながら、聖霊の導きを識別する教会は、これからの教会共同体の姿の指針です。

             

  教皇フランシスコは2019年に訪日され、長崎、広島、東京において多くの方々と出会う中で、世界に向けて核兵器廃絶による平和の確立と、すべてのいのちを守ることの重要性を力強く発信されました。日本の教会にとって、まさしく、わたしたちの牧者の存在を肌で感じる体験でした。あのときわたしたちは、教皇様の声に直接触れ、霊的に燃え上がっていました。

              

  日本の司教団は、2015年と2024年の二度にわたり使徒座定期訪問(アドリミナ)でローマを訪れ、教皇フランシスコと直接意見を交換する機会をいただきました。このときに体験した、権威に基づいて命じるのではなく、耳を傾けともに歩もうとする教皇フランシスコの姿勢に、わたしたちは多くを学びました。

            

 2020年以降の世界的な感染症によるいのちの危機や、頻発する戦争や武力紛争は、世界から寛容さを奪い去り、暴力や絶望が力を持つようになりました。その現実に対して教皇フランシスコは、2025年聖年のテーマとして「希望の巡礼者」を掲げ、ともに助け合いながら歩むことで教会が世界に対して、キリストにおける希望をあかしする存在となるように求められました。

             

 まさしく聖年の歩みを続けているこのときに、力強い牧者を失うことは、教会にとって大きな痛手です。 教皇フランシスコの逝去にあたり、これまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、御父の懐にあって豊かな報いをうけられますように、永遠の安息を共にお祈りいたしましょう。

2025年4月21日

日本カトリック司教協議会 会長

カトリック東京大司教区 大司教 枢機卿 菊地功

            

フランシスコ教皇 霊的遺言

           

  教皇フランシスコ(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)が、2022年6月29日にバチカンのサンタ・マルタ館で記した遺言が次のように公表されました。         


           

 Miserando atque eligendo(※教皇フランシスコの紋章名「あわれみを受け、そして選ばれた」(尊者聖ベーダの言葉より))

            

 至聖三位一体の御名によって。アーメン。

            

 わたしのこの世における人生の夕暮れが近づくのを感じるにあたり、永遠のいのちにおける大きな希望をもって、わたしの埋葬の場所についてのみ、遺言としての意志を表明したい。

 わたしは自らの人生と司祭職および司教職を、常にわれらが主の御母、至聖マリアにゆだねてきた。それゆえに、わたしの亡骸が教皇付大聖堂サンタ・マリア・マッジョーレに葬られ、復活の日を待つことを希望する。

 わたしの最後の旅がまさにこの古代の聖母巡礼聖堂で終わることを希望する。わたしはこの大聖堂にすべての司牧訪問の始めと終わりに祈りのために訪れ、自らの意向を信頼をもって無原罪の聖母に託し、その従順な、母なる配慮に感謝してきた。

 わたしの墓が側廊のパオリーナ礼拝堂(サルス・ポプリ・ロマーニの礼拝堂)とスフォルツァ礼拝堂の間に、添付の指示のように用意されることを願う。

 墓は床に設けられ、特別な装飾なしに、唯一「Franciscus」との表記を持つものでなければならない。

 わたしの墓所の準備の費用はわたしがあらかじめ得た篤志家の寄付で賄われる。教皇付大聖堂サンタ・マリア・マッジョーレへの移送については、同大聖堂の特別委員ロランダス・マクリカス師に指示した。

 わたしを愛してくれた、そしてわたしのために祈り続けてくれるであろう人々を、主が顧みてくださるように。わたしの人生の終末期の苦しみは、世界の平和と人民間の兄弟愛のために主に捧げた。

 サンタ・マルタ、 2022年6月29日

 フランシスコ

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