チャド共和国に生きる修道女
Sr. Matsuyama’s Mission in Chad, Africa
ショファイユの幼きイエズス修道会(カトリックの女子修道会の一つ)は1980年10月1日にアフリカ大陸の中央部に位置するチャド共和国のライ司教区にライ修道院を設立した。30年近く現地で働く、同修道会の松山浩子修道女(59歳、以下、松山シスター)に現地の様子を伺った。「輝く目をもつ子どもたち」が生きるチャドとは。
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チャド共和国のライ修道院には現在、日本から4人の修道女が派遣されている。スペインやメキシコから派遣されているメンバーと共に、幼稚園から高校までの教育支援活動を行っている。
松山シスターは1960年に熊本で生まれた。生まれた翌日にカトリックの洗礼を受ける。熊本の武蔵ヶ丘教会(熊本市北区)ができた頃には教会の青年会活動を熱心に行った。当時、「アフリカを知ろう」という「一粒の麦」運動に関わり、ショファイユの幼きイエズス修道会の入会を決意した。
修道会の一員となりチャドに行くことが決まると、まずフランス語を学ぶために京都修道院に身を置き、関西日仏学院(アンステイチュ・フランセ関西−京都)に1年通った。保育士の資格は持っていたが、幼稚園と小学校の教育免許取得のため大阪信愛修道院に移って大阪信愛学院短期大学に通った。
そして1991年6月、チャドに向った。ライ修道院に着くと司教から幼稚園で働くよう命令があり2年間働いた。一度、終生誓願のために帰国をしたが、再びチャドに行くと新たに小神学校(13歳〜18歳の司祭志願者のための学校)の音楽指導の命を受ける。最近では刑務所の霊的同伴(受刑者に寄り添う活動)も行っている。
チャドの子どもたちは音楽に親しむDNAを生まれながらに持っているが、楽譜がないのに驚いた。国語の授業でも教科書がなく、先生の板書をノートに書き取っていく。ノートを忘れると授業を受けてはいけないと先生が叱る。ドレミファから教えた。神父が作曲した聖歌やグレゴリア聖歌があるが、楽譜が無いので人によって音程が異なる。20年先、この子たちが大きくなった頃には楽譜を見ながら聖歌を歌うようになってほしいと願いながら指導している。
シスターたちは学校での教育指導と女子寮(家が遠い小学5・6年生が入寮)の生活指導を分担して行っている。編み物指導から国語の指導まで役割は多岐にわたる。チャドの公用語はフランス語とアラビア語だが部族(130以上)の言葉しかわからない子どもも多い。
チャドは貧富の差が激しく就学率は10%程度。修道院が経営する私立学校には裕福な家庭の子だけが来る。学費は年間1万円程度で高い(公立校は千円程度)。宗教的にはキリスト教が44%でイスラム教(52%)より少ない。開発途上国で国家財政を支えているのは石油と農産物の綿花と落花生など。乾季を利用したレンガ作りなどもある。国民は家族のようで協働意識が強く、子が生まれると授乳は母親がするが、子育てしつけなどは地域全体で支え合いながら行っている。
松山シスターはたまに日本に帰国すると「輝く目を持つ子ども」が少ないことに驚く。チャドでは蒸し風呂のような環境の中、学校といっても小屋や野外での授業だが、学ぶ子どもたちの目は輝いている。そんな時、チャドで働けることに幸せを感じる。青少年に対するキリスト教的教育を通して日々、イエスの愛を証ししている松山シスターの姿はしなやかに力強い。
チャドは国土の南の方にキリスト教徒が多く、北部はイスラム系が多い。北部には隣国スーダンからの難民が流入してきている。これまで活躍してきたシスター達は高齢となり本国に帰国する人もおり、若い指導者が求められている。
(手取教会(熊本市中央区)の「手取だより」367号より転載。原文執筆者の許可を得て、福岡教区ウェブサイト用に編集いたしました。)