祈りのルーツ求め ‐ テゼ共同体に一年滞在
Search for Spiritual Life : One Year Stay at Taizé, France
【カトリック新聞 2020年7月26日付(第4537号)3面の記事より転載】
東北被災地のベース(ボランティア拠点)でテゼの祈りと出会ったピアニストの井上友里子さん(31/福岡県在住)は、その祈りのルーツを知りたいと、昨春(2019年春)からフランスのテゼ共同体にボランティアとして1年間滞在した。仲間と祈り、働く安心感の中、井上さんはありのままの自分を受け入れられるようになった。
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井上さんは大学で音楽を専攻していた2011年9月、東日本大震災の被災地支援のボランティアとして宮城県の米川ベース(現南三陸ベース)に1週間滞在した。信者でない井上さんは、そこで短い祈りを繰り返し歌うテゼの祈りを経験し、衝撃を受けたという。
「毎日の活動の後、皆で体験を分かち合うのですが、(有志が参加する)テゼの祈りも分かち合いでした。(小さな声で)周りの人と声を合わせて歌ううちに自分は心の内側へ入っていくのに、深いところで周りの人とつながっていくのが分かる。これは何!? と思いました」
幼い頃から「ピアノ漬け」だった自分が「技術を超えたところにある本当の音楽の素晴らしさ」を体感した出来事だった。
後にアジア地域等でのテゼの国際大会で奉仕した井上さんは、その祈りのルーツに触れたいとテゼ共同体でのボランティアを志願。昨年3月、現地に向かった。
〝本当の共同体〟
テゼ共同体はフランス中東部、ブルゴーニュの小さな村テゼにあるキリスト教超教派の男子修道会。カトリックやプロテスタント出身のブラザー(修道士)たちの祈りと労働による共同生活は宗教を問わず世界中の若者を引き付け、毎週数千人が巡礼に訪れる。
テゼ共同体のボランティアは、男性はブラザーの下、女性はシスター(修道女)の下で共同生活をしながら巡礼者に奉仕するのが務め。仕事は聖堂の整備、祈りなど各種プログラムの準備や進行役、食事の用意、宿泊所の管理、掃除など多岐にわたる。
ピアニストで元教員の井上さんは、聖歌隊の指揮と共同体で唯一のバーを担当、喜びの内に働き始めた。だが春・夏の繁忙期の巡礼者は、多い週で5000人。300人のボランティアは「いつも裏で走り回っていた」という。
さらに、共に働くのは文化的背景の異なる多国籍の若者たち。井上さんが仲間のために無理して働いても歓迎されず、「私の仕事を奪った」とさえ言われた。巡礼者が安心して祈れるよう支えたいという意欲とは裏腹に、うまく奉仕できない自分に落ち込んだ。聖書講読などの時間はあっても疲れで集中できず、「これがテゼ!? 」と心の中で叫ぶ日々だった。
ある日、シスターから体調不良を指摘され、奉仕を休むよう指示されてしまう。
井上さんは中学校の教員時代、「無理して働かないと周りに認められない」という〝信念〟から多くの仕事を抱えて体調を崩し退職。テゼでも弱い自分を克服しようと必死だった。
しかし、シスターや仲間は折に触れ「ありのままのユリコでいてほしい」と寄り添ってくれた。「皆といる時は笑顔でも、祈る時はよく泣いている」仲間と過ごすうち、「うまくいかない時は『どうしようもありません!』と、ただ神様の前にいる」祈りをするようにもなった。
「テゼのブラザーやシスターはいつも背後でボランティアを見ていて支え、私たちが祈れない時も祈ってくれています。仲間は考え方の違いでけんかしても、仕事ができない時は代わってくれる。テゼの暮らしが互いに支え合う〝本当の共同体の生活〟だったから、その安心感の中、私も本当の自分を受け入れられるようになったと思います」
週一度の面談でシスターが語ってくれた、「神様はあなたが無理して頑張ることを望んでないよ。あなたがあなたらしくいてくれることを一番喜んでいるよ」という言葉が今も心に響く。
井上さんは自分を引き付けたテゼの祈りのルーツを、その共同体の生活に見いだした。共に祈り、働き、互いの違いを知り、学び合う。そこに〝友情〟が育まれる。
「米川ベースでもテゼ共同体でも、友情を育んだ人たちはそこに留まらず皆、生活の場へ派遣される。私もその〝開かれた友情〟を感じながら、たまものを生かして人と出会っていきたいです」