イベント情報

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福岡教区創立100周年・準備の三年目にむけて ヨゼフ・アベイヤ司教メッセージ発表

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  福岡教区創立100周年・準備の三年目にむけてのメッセージ
教区長 ヨゼフ・アベイヤ司教            

             

 福岡教区創立100周年の準備の最後の一年を迎えようとしています。今までの歩みはどうだったでしょうか。どんな恵みをいただいたのか。どんな気づきがあったのか。毎年のテーマに導かれて歩んできたのです。

 一年目のテーマの取り組みを通して小教区共同体の交わりが深まったのでしょうか。二年目は、未来に開かれた教会を目指して歩んできました。「信仰の家族」とも言うべき教会共同体に欠かせない子どもの声が小教区で聞こえるようになったのでしょうか。青年たちはさまざまな活動を行っています。嬉しいことです。外国から来られている信徒との交わりは、わたしたちにとっても、彼らにとっても、視野を広げるきっかけになったのでしょうか。100周年の祝いの準備期間は恵みの時です。ただ、神様がくださるこの恵みを開かれた心で受け止め、それに具体的に応えなければなりません。

 教区の宣教司牧方針に書いてあるように、「福岡教区の共同体が今まで歩んできた道を振り返って感謝します。また、福音に触れるときに伝わってくる情熱に促されて歩み続けようとしています。それによって、希望をもって将来に向かって行くことができると確信しています。『感謝』『情熱』『希望』はわたしたちの歩みを導く光です」。心に留めていただきたいことばです。二年前から唱えている100周年の祈りの中でこの三つの要素が含まれています。今日、この祈りを唱えるときにこれを深く味わってください。

 今日の典礼で朗読されたみことばは、私たちの歩みを照らします。皆に親しまれている「種まきのたとえ話」です。イエスご自身の体験を表明しているたとえと言われています。マタイは5章から、休むことなく神の国の福音を述べ伝えておられたイエス、多くの人々との出会いの中で解放と癒しを与えてくださったイエス、罪びと見なされている人々を含めすべての人々をあたたかく迎えておられたイエスの活動を紹介しています。しかし、この働きに対する反応は様々でした。多くの人々は喜んでイエスに耳を傾け、何人かがついていきます。民の指導者はイエスに反対し、すでに殺すことを考えています。イエスの身内は彼の活動を止めようとします。また、群衆の中でもイエスの話を聞いてはいるが、示された道を歩もうとしない人々がいたに違いないと思います。道端に落ちた種、雑草にその成長が妨げられた種、土が浅いのですぐ枯れてしまった種、そして、実を結んだ種がありました。イエスは、人里離れたところで祈っておられたときに、自分の活動を振り返って、これらの状況が見えてきて、喜びを感じることがあれば、寂しく感じることもあったでしょう。心配もしておられたかも知れません。ただ、種を蒔き続けるのです。それは、天の父の望みであり、人々が必要としているからです。

 帰ってから、弟子たちはたとえ話の説明を求めました。イエスがたとえ話を説明するのは珍しいことです。福音書のこの部分の背景には、初代教会の体験があると言われています。共同体や宣教師たちの働きは、すべて思い通りにはいかなかったのです。期待通りの実りはありませんでした。その中で、イエスが語られた言葉を思い起こして、光を求めたでしょう。確かに、期待していた実りを結ばなかった種がありましたが、さまざまなところでイエスに触れて「救われた」という体験をした人々はいました。大きな励ましになったことに違いありません。同時に、福音のメッセージの表面的な受け止め方、富への執着、迫害や困難に対する恐れ等によって、もう一歩踏み出せなかった人々がいたようです。しかし、こういう状況の中で種まくことをやめることはありませんでした。初代教会の人々の証と宣教師たちの活動によって、多くの人々は福音に触れ、新しい生き方に招かれたのです。私たちもその活動の実りです。

 2000年が経った現代に生きている私たちは、このイエスの言葉をしっかりと受け止める必要があります。もしかすると、わたしたちの活動も期待通りの実を結ばないことを見て、気を落としてしまうかも知れません。イエスのように、種まきをやめることなく、与えられた信仰の恵みを分かち合っていきましょう。これは、神様の望みであり、人々が必要としていることです。第一朗読で述べられているように、「(主は言われる。)雨も雪も、ひとたび天から降れば空しく天に戻ることはない。...そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない」と。この確信はとても大切です。

 教区創立100周年準備の三年目のテーマは、「出向いていく教会となる」です。そのために、教区の宣教司牧方針をつくったときに、皆さんが示された三つの課題に取り組む必要があります。

 まず、「出向いていく教会の歩みを支える、みことばを黙想し分かち合う」。つまり、信仰体験を深めることです。心のうちに福音の炎が燃えていなければ、その光を分かち合う望みは生まれてこないでしょう。信仰の喜びを分かち合うことによって、その喜びは少なくなるではなく、大きくなって増えるのです。各小教区で、みことばの分かち合いの場、あるいは、聖書勉強会を作るように是非お願いしたいと思います。もうすでになさっている小教区では参加者を増やして、深めていってください。そのような場がない小教区では、作るように努力してくださるようにお願いいたします。教区や地区のレベルでも、こういう場がすでに提供されています。

 二番目の課題は、「多くの人々に福音に触れる機会をつくる」ことです。キリスト者の生活の証は基本ですが、具体的な取り組みも必要です。特に、現代において、デジタルの手段を含めて、方法はさまざまです。しかし、皆さんに考えてほしいことがあります。教会に人を誘ったことがありますか。何がきっかけとなったのでしょうか。どういうことを難しく感じましたか。声をかけることは福音宣教の基本です。ただ、誰かが教会に来れば、司祭を初め、共同体はこの人を迎える姿勢を常に持たなければなりません。今年は、この点に力を入れてみましょう。

 そして、三番目の課題は、「様々な活動を通して神が望んでおられる社会を築いていくように努める」となっています。教会としての活動があれば、一人ひとりが他の人々と手を組んでなされている活動もあると思います。両方とも大切です。信仰の目で現実を見つめ、イエスのような心で人々と関わるなら、一人ひとりが神の子として尊敬され、ともに生きる社会を築く決意が当然生まれてきます。同時に、神にかたどって創造された人間の尊厳が踏みつけられた時に、深い痛みを感じるのも当然です。現代社会において様々な苦しみを負わせられている人々に寄り添って、行動するように求められていると思います。出向いていく教会の大事な要素です。

 どうか、各小教区、各委員会、各修道院やグループで、どのようにこれらの課題に取り組むことができるかを考えていただきたいと思います。小さな取り組みでも結構ですが、何かを具体的にしてみましょう。

 わたしたちの活動は思い通りの実を結ばないかも知れませんが、種まきをやめることなく、イエスが与えてくださった使命を果たしましょう。これこそ、100周年を祝うための準備になります。三年目も恵みの時になりますように。

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 2026年7月12日(日)は、全小教区で「教区創立100周年に向け、3年目の歩み『出向いて行く教会 』 となる」の同じ意向でミサを捧げます。

                   

 福岡教区ヨゼフ・アベイヤ司教司式のミサは、久留米教会で捧げられ、このミサはライブ配信を行います。以下からご視聴ください。

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