フランチェスコに恋をして
Falling in Love with Francesco d’Assisi
今年11月に日本を訪問するローマ教皇フランシスコ。その名前の由来でもある「アッシジの聖フランチェスコ」。歴代教皇にはなかった歴史上初めての教皇名をつけたきっかけについて、フランシスコ教皇は「その時、頭に響いたのです。『貧しい人たち、貧しい人たち!』と。そして清貧の人アシジのフランシスコのことが頭に浮かんだのです」と語っている。そんなアシジの聖フランチェスコに惹かれて歩む熊本県山鹿市在住の洋画家の森田貴博さんと妻で版画家の平井栄美さんを紹介する。
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「赤色の反対は?」「緑色―!!」。熊本県山鹿市の山里の公民館に子どもたちの元気な声が響く。「紫色をつくるにはこの色を足すと良いよ」「筆はこう洗うのよ」…優しく子どもたちに教える森田貴博さん(55歳)と平井栄美さん(55歳)。山鹿市に「Galleria ASSISI(ガッレリア・アッシジ)」という画廊を構えるご夫妻だ。アッシジ(イタリア・ウンブリア州)とアッシジの聖フランチェスコをライフワークに描く洋画家の貴博さん、そして中世の巡礼路とロマネスク美術やキリスト教美術を描く版画家の栄美さんの作品を展示する画廊。近所の子どもたちからは「アッシジさん」との愛称で親しまれており、突然の子ども達の訪問もある。そんな時は120年の歴史を持つ足踏みオルガンを弾いて一緒に歌ったり、一緒に絵を楽しんだりする。
子どもたちに親しまれるのには理由がある。先述の公民館での一場面は、夏休み中の絵画教室。夏休みの宿題のお手伝いも兼ねており、夏休み中に4回開催。今年で3年目になった。参加した子どもは「楽しかった」「きれいにできた」と満足そうだ。また、近くの三玉小学校では絵本の読み聞かせボランティアを行っている。貴博さん自作の地域の伝承を物語にした絵本のシリーズもある。さらに、学校の図工の授業をサポートし、山鹿市の灯ろうを使った地域おこしにも一役買っている。
アッシジの聖フランチェスコの若かりし日を題材にしたミュージカル映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」を観たことがきっかけで、貴博さんはアッシジの聖フランチェスコをライフワークにした。商人の一人息子として生まれ自由奔放な生活を送っていたフランチェスコの大回心の場面でのセリフ「もうあなたの息子ではない。人間に大切なのは富ではなく心です。これからはキリストのように乞食になります」に感銘を受けたという。フランチェスコやアッシジの街について語るときの貴博さんは恋をしているかのよう。それでも初めからフランチェスコのすべてを理解していたわけではない。
自分が作る「イメージ」で描いていた時はフランチェスコ個人を追っていた。しかし、イタリアのアッシジの街を訪れ、フランチェスコの生き方、そしてそこから生まれた共同体の歩みを追っていくと、「共に在る」兄弟姉妹たちの姿が浮かび上がってきた。交わりの中に息づく「真理」「いのち」「平和」「自然との調和」に対する気づきが、今の山鹿での暮らしを支えているのかもしれない。
栄美さんは結婚後、貴博さんのアッシジ行きに同行するようになり作風が変わったという。以前は抽象的なものをモチーフとした版画が多かった。今はアッシジの街並みやフランチェスコの霊的姉妹である聖キアラ(クララ)や聖書物語を題材としたものなどを手掛ける。最近のお気に入りは八女和紙。西洋で育まれたものが東洋の和紙に映し出される作品には不思議な趣がある。
貴博さん、栄美さんの周りには自然と人々が集う。二人によると「地域に取り込まれていく感じ」だそう。実は、故郷の山鹿に落ち着く前は、人生の苦難・試練が続き、貴博さんは筆が持てないほどの状況にあった。なので、今は「こんな私たちを使ってもらってありがたい」と語る。
キリストが「貧しい人は幸い」というとき、その貧しさは「心からいつくしみ深い御父である神により頼む」ことを指す。貴博さん、栄美さんご夫妻は2年前にカトリック山鹿教会でカトリックの洗礼を受けた。二人の洗礼名はもちろんアッシジの聖フランチェスコと聖キアラ。二人は「自分みたいなものが信者になんかなれない」と思っていた…「何もできない自分の存在意義、こんな私でも必要とされていると感じさせてくれたのが信仰です」と語る。
(12月3日までカトリック大名町教会で二人の作品展「アシジの聖フランシスコと聖クララの道」を開催中⇒企画展サイト)