「周辺部」から日本社会を見て、「福音」を告げる -フランス人カトリック司祭の50年- (後編)
Proclaim Good News from Periphery:
50 years journey of French Catholic Priest in Japan (Part II)
「日本で出会った小さな人たち、排斥されている人たち、青年労働者や外国人労働者、ホームレス、薬物依存症者など、彼らの目を借りて日本の社会を見ることは神さまからの大きな恵みだったと思います。」そう語るのは、1974年に来日し、カトリックの司祭(神父)として生きてきたコース・マルセル神父(80歳)。今年(2022年)司祭叙階50周年を迎えた、宣教師マルセル神父の歩みと思いをインタビュー形式で紹介。今回は後編です。
(上の青文字をクリックすると前編の内容がご覧になれます)
* * * * *
<社会の周辺部に生きる人々>
1974年に来日してから、「周辺部」の人々との出会いを通して、宣教師としての道が開かれたとのことでした。今も続く「美野島司牧センター」についてお聞かせください。
1990年、「出入国管理及び難民認定法」の改定が実施されました。日本の政府は労働力の不足を補うために、ブラジルとペルー在住の日系人に労働ビザを発行し、何千もの人々が一挙に仕事を求めて日本に上陸しました。カトリック信者が大勢いたので、日本のカトリック教会はこの移住者の急増に対処する必要がありました。福岡では松永司教様(編集注:故松永久次郎司教)が私に教区内の移住労働者に対する「司牧」をするようにと言われました。そして、1994年に外国人の支援をするために福岡の美野島司牧センター(福岡市博多区)を開設しました。
司祭としての義務を務めながら、彼らの日常生活の様々な問題に対応しました。また、入国管理センターに収容されていた外国人の面会など、さまざまな対応に忙殺されていました。彼らは日曜日のスペイン語ミサの時に教会に集まり、明るいアンデスの歌をギターで奏でたりして一週間の生きる力を満たします。私が彼らと出会っているのは、宗教的な司牧だけではありませんでした。毎日の生活に深く関わっていました。
移住労働者たちと過ごすことで、私の生涯は大きく変わりました。この経験のおかげで私は進むべき道に神が現れるのを実感できるようになったのです。私は前進するしかありません。立ち止まって呼吸を整える間もなく、ただ前進するだけです。
美野島司牧センターではダルク(DARC:薬物依存症者のためのリハビリプログラム)の活動も行われていますよね。
美野島司牧センターを開設した翌年に、DARCの薬物依存症者がリハビリテーションの場を求めてやってきました。薬物依存の世界に全く無知だった私は即座に返答できませんでした。しかしある夜、センターの屋上でシンナーを吸って幻覚を見た若者が飛び降りようとしていたため、私は彼の腕をつかみ、止めました。翌朝、祈りの時にこの衝撃的な出来事を受け、神の導き以外のものではないと感じ、彼らをセンターに迎え入れました。時として、神は予想をしないところで導かれますね。彼らと共に歩んで29年になります。
ホームレスの人々との関わりについても教えてください。
ホームレスへの援助もセンターの大事な仕事の一つです。美野島司牧センターでは「福岡おにぎりの会」と「美野島めぐみの家」という二つのNPO団体が活動しています。炊き出しや、夜廻りなどを通してホームレスの人々の社会復帰を目指して歩もうとしているボランティアはカトリックだけではなく、プロテスタントの方や、仏教徒など、様々な人たちが同じ心で小さくされた人々への愛と尊敬をもって参加しています。
<日本でキリストを伝える>
マルセル神父さんはカトリック司祭として50年近く、日本で生きてこられました。その歩みの中で、神父さんが出会った「神」とはどんな方ですか?
教会に現れた神、祈りや秘跡、ミサの中で私たちのために現れる神様の愛と慈しみのしるしであり、ホスチア(編集注:聖体ともいう。ミサの中で聖別されたパンを指す)の礼拝の中に見出します。その時こそ神様の顔を仰ぎ見て、私たちの毎日の生活の中で共に歩んでくださっていることを実感できます。そして、私たちは社会の人々の心の中で聖霊が働いていることを信じて、毎日の生活の中で出会って行く人々に、教会で出会った神様の顔を仰ぎ見ることができるようになりますね!
死刑執行を受けた人々、軽蔑されている人々、侮辱されている女性たち、捨てられている子どもたち、傷つけられた人々、疎外されている人々、彼らの眼差しを見て十字架の上で磔にされているイエス・キリストを通して神様の顔を仰ぎ見る事ができます。
最後に、それはもっとも大切なことかも知れませんが、福音のイエスと共に「友に」行き、人を尊重しながら出会う方法です。例えば、イエスは病気を癒すときに体だけではなく、尊厳を持って自由に生きるために立ち上がらせたり、その人を弟子として選び、神様の愛を私たちに示されました。その福音の「言葉」は、小さな砂粒がエンジンを壊すように、刻印は私たちの人生に刻み込むように回心を呼びかけ、私たちの固定観念や慣習を吹き飛ばしてくれます。いつも自分を新たにするように…それは私の「若さ」と忠実の泉です。
マルセル神父さんが「キリスト」について新しい体験をしたことがありますか?
何年か前ですが、とても珍しい体験をしました。珍しいと言う言葉が適当かどうかわかりませんが、私にとって「悟り」と言う言葉が最も適当かもしれません。「たんぽぽの会」と言う福岡の死刑反対の市民運動が、全国から集まった死刑執行された方々の絵の展示会を設けました。
行ってみると驚いたのは、死刑執行された方はクリスチャンではないのに、展示された絵画の中でイエス・キリストが十字架に磔にされた風景、受難の時に苦しんでいるイエスの顔を描いていました。同じように苦しみをうけ、死刑執行され、しかも死に打ち勝ったイエスの受難は、彼らの慰めと希望になっていたようです。その時私は、「なるほど」と思いました。イエスの受難は私たちクリスチャンだけのものではない、全世界の苦しんでいる人々のものです。
日本でキリストを伝えるという使命を生きておられるわけですが、難しさを感じることはありますか。またその歩みを神はどのように助けてくれたと感じていますか。
宣教師というものは、自分の家族、国と離れて新しい国と文化、言葉を発見していくことです。私は愛したかった日本という国に憧れていたので、自分の国を離れることは全然難しくなかったです。
その国の教会のコミュニティと共に歩みながら、福音を宣べ伝えることは当然のことですが、パリミッションの「Ad Gentes」(編注:「人々のもとへ」の意)を実践するにあたり、自分自身の壁に突き当たりました。出向いていく教会となる、弱い立場に置かれている人々と共に歩むことを大切にするために、開かれた場所を考え、洗礼を受けた、受けていないに関わらず、すべての人々にイエスの愛と希望の福音を実行に移す、ということを自分の宣教の道標としました。
神はどのように助けてくださいましたか?神の摂理でしょうね!日本に着いてすぐ、東京で私を迎えてくださったのはJOC(カトリック青年労働者連盟)の協力者パリミッションの仲間たちでした。前回もお話ししましたが、最初から彼たちを通して、日本語の勉強をしながら青年労働者と出会うことが出来ました。とにかく私は色々な人との出会いを通して、彼らの目を借りて日本社会を見ることができました。それは神様からの大きな恵みだったと思います。
<福音・キリストの愛について>
最後に、マルセル神父さんの言葉でイエス・キリストの「福音」「愛」を表すとすると、どのようなことになるでしょうか。
イエスが社会の周辺に向かうことを選んだこと、貧しい人や病人や罪を犯した人々と手をつなごうとしたこと、そのために激しい抗争を引き起こし、ついには十字架にかけられたこと、そのことこそ「愛」であり「福音」だと思います。神は人の顔をして現れ、命と幸福を与えるために最高の愛をすべての人々に示されました。福音書(編注:新約聖書にある4つの福音書)からは、イエスが病人を癒やすとき、単に身体的、精神的、道徳的に癒したのではなく、人間としての尊厳の回復と自律性の回復をもたらしたことが読みとれます。
私は福音の光を頼りに内側から社会を変革することを目指しています。周辺部に押しやられ、失敗と苦痛だらけで幸福から見放された人々の顔に、イエス様の顔を仰ぎ見て、美野島司牧センターでこの愛の福音を告げ知らせること、それが私の司祭として、宣教師としての歩み方になりました。
80歳になっても、社会の周辺部にいる様々な人々と手を繋ぐことを司祭としての生き方として、私はそこで具体的な活動を通じて、イエス・キリストの「愛」の福音のメッセージをのべ伝え続けていきたいと思います。
ありがとうございました。